プロ野球球団の広報 のしごと

2024.08.28 紹介します○○のしごと

オリックス野球クラブ広報宣伝部の佐藤達也さんの画像
リーグ優勝と日本一について、「現役時代は優勝できなかったので、ほんのちょっとだけくやしかったです」と話す佐藤達也さん=2024年2月、宮崎市(本人提供)
オリックス野球クラブ広報宣伝部の佐藤達也さんの画像

佐藤達也さん

オリックス野球クラブ(大阪市) 広報宣伝部

選手の声 ファンへとつなぐ

オリックス野球クラブは、プロ野球のオリックス・バファローズを運営している会社です。オリックスで中継ぎ投手だった佐藤さんは今、球団の広報として働いています。主な仕事はメディア対応です。選手や監督、コーチと、取材したいメディアの間に立ってスケジュールなどを調整しています。

試合の途中にも役割があります。テレビ中継などで流すため、活躍した選手からその場でコメントをもらい、メディア向けに発信しています。「もっと野球やバファローズに興味を持ってもらえるよう、ファンのみなさんに、選手の声や球団の情報を届ける仕事です」

選手としては、2013、14年にパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の最優秀中継ぎ投手賞にかがやくなど、1軍で活躍しました。「まさか、個人タイトルがとれるとは思っていませんでした。すごく充実した選手生活でした」

調子の良くない選手がいれば、選手の立場になって接するなど、現役時代の経験も生かしています。選手やメディアとより良い関係を築けるよう、ふだんから雑談の時間も大切にしているそうです。「選手の声をうまくファンの人たちに届けていきたいです」

あゆみ

1986年
埼玉県生まれ
小学校時代
7人きょうだいの末っ子。バスケットボールが好きだった兄たちに影響を受け、バスケに夢中になりました
中学校時代
地元の中学校に進学。バスケ部がなく、野球部に入部しました。勉強は苦手でしたが、漢字の暗記は好きでした
高校時代
埼玉県立大宮武蔵野高校に進学し野球を続けました。本格的に投手になり、2年生からチームのエースに
大学~社会人野球時代
当時の北海道東海大学芸術工学部に進学。硬式野球部に入部し、エースとして活躍しました。2009年に本田技研工業に入社し、Honda硬式野球部に所属。社会人野球の全国大会「都市対抗野球大会」を経験しました
プロ入り~現役引退後
11年秋のドラフト3位指名でオリックス・バファローズに入団。13、14年に最優秀中継ぎ投手賞にかがやくなど活躍し、18年に引退。オリックス野球クラブの広報宣伝部で、選手やコーチのメディア対応をしています
やりがいや苦労

だれよりも近くで喜びを共有

試合で一番活躍した選手の「ヒーローインタビュー」にも立ち会います。「選手の生の声をだれよりも近くで聞けるのが、仕事の魅力」と話します。

球団は21年から3年連続パ・リーグ優勝、22年には26年ぶりの日本一を果たしました。「選手たちの喜んでいる顔を見るのは格別でした」。ただ、優勝直後は取材や会見などの準備に追われました。明け方家に着き新聞を見て、やっと「優勝したんだ」とほっとしたそうです。

シーズン中以外はチームで動かないこともあります。選手個人の予定に合わせた日程調整も大変です。

必要な道具は?

スケジュールを管理するために使っている手帳です。取材の日程は突然決まることが多く、選手やコーチの予定との調整に欠かせません。いつも持ち歩いています。(写真は本人提供)

オリックス野球クラブ広報宣伝部の佐藤達也さんがスケジュール管理のために使っている手帳の画像

なるためには?

野球が好きで、野球に興味を持っていることが何より一番大事だと思います。私は選手を経験していますが、広報には新聞記者から転職した人もいます。

メディアと原稿の確認をしたり、メールのやりとりをしたりと、ふだんから言葉をあつかうことが多いです。球団の中の人だけでなく外の人たちともかかわります。正しい言葉づかいやさまざまな人とのコミュニケーションを、常に意識することが必要です。

おしごとあるある

シーズン中は基本的に1軍といっしょに移動するため、各地を転々としています。パ・リーグの球団がある北海道や福岡県にもよく行きます。シーズンが始まる前の2月にある春季キャンプでは、期間中の丸々1か月は家に帰れません。キャンプは宮崎県で行いました。年間でみると、半分くらいは家にいないと思います。その分移動も多いです。移動中はパソコンで仕事をしたり、体を休めたりしています。

2024.3.4付 朝日小学生新聞
構成・正木皓二郎

毎週月曜連載中の「教えて! 〇〇のしごと」から記事を転載しています。
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