美しいミクロの世界。完璧な珪藻標本を作ることができるたった一人の人物

2022.02.28 わたしのしごと道

[珪藻(けいそう)アート作家・ミクロワールドサービス代表]奥修(おく おさむ)さん

1968年宮城県生まれ。東京水産大学(現・東京海洋大学)水産学研究科博士後期課程修了。科学技術特別研究員、日本学術振興会特別研究員、明海大学・東京海洋大学・高知大学・三重大学の非常勤講師を勤める。2007年に練習・観察用の珪藻プレパラートを販売する「ミクロワールドサービス」を設立。日本プランクトン学会、日本海洋学会、日本環境教育学会会員。著書に『珪藻美術館 ちいさな・ちいさな・ガラスの世界』(福音館書店)など。

奥さんは、「珪藻標本(プレパラート)」を販売しているそうですが、「珪藻」とは、どういったものなのでしょうか?


珪藻は藻(も)の一種です。水がある場所ならどこでも見つかり、動物プランクトンをはじめ多くの生き物のエサとして、自然界にとってなくてはならない存在です。


光合成を行う単細胞生物で、珪酸質(けいさんしつ)というガラスの殻を持っていることが特徴です。何万種類もいて、すべて形が違います。ガラスの殻には無数の孔(あな)が空いていて、そこから栄養分の吸収や酸素の放出をしています。水中を浮遊したり、岩や海藻などに付着したりして生活していますが、死ぬと細胞を覆っていたガラスの殻だけが残ります。円盤型、楕円(だえん)型、星型などさまざまな形状がありますが、全てミクロサイズです。肉眼で見ることはできません。


私の仕事は、その精巧で多様な形態のガラス殻を並べて標本を作ること。光の反射でキラキラ輝くガラスの性質を生かして、0.5〜3mm程度の目では見えないアート作品のようなプレパラート(顕微鏡で覗くために二枚のガラス板の間に珪藻を封入したもの)を販売しています。

(写真上)珪藻標本。さまざまな種類の珪藻の殻を円形に並べた。(写真中)珪藻は川の石や海の岩場などで採取。(写真下)0.02㎜から大きなもので0.2mmくらい。米粒と、クリスマスツリーを模した珪藻アートを並べてみると、そのミクロの世界観がよくわかる

どうやってこの作品を見るのでしょう? なぜこのような作品を作ろうと思いついたのですか?


ニコンのバイオフォト・フルオフォトシリーズの一台。「研究員時代、給料をはたいて中古の顕微鏡を3台買い、自分でオーバーホール(修理、調整)しました。設計者の妥協のない光学設計にほれ込みましたね」

ミクロサイズの珪藻標本は光学顕微鏡でのぞくと観察できます。珪藻には、レンズで600倍に拡大して観察してもまだ見えない細かな構造があります。そのため、19世紀に光学顕微鏡の理論が発展したころから、レンズの性能を判断するための標本材料として長く使われてきました。


本来「顕微鏡を正しく使う技術」と「正しい標本」がそろえば、より一層細かな観察ができるはずです。逆に言えば、どんなに高額な顕微鏡を正しく使っても、標本が正しくなければ顕微鏡の持つ力は存分に発揮されない。多くの顕微鏡メーカーは昔から「正しい標本がなかなか見つからない」と嘆いていたようです。


そこで、完璧な珪藻標本を製作しようと「ミクロワールドサービス」を創業したところ、すぐにニコンから声がかかりました。ほかにもキーエンスやキヤノン、オリンパス、ライカ、カールツァイス、三啓、メイジテクノほか、多くの光学機器の企業で、顕微鏡の機能を確認するためのデモ用標本やレンズの性能検査用テストプレートとして使われています。

珪藻をここまで完璧な標本にできるのは、世界でもたった一人と言われています。どのような作業をしているのでしょうか?


(写真上)カバーガラスの上についたホコリ。「標本作りに空気中の落下物は大敵。洗濯物も室内ではたたみません」。(写真中)道具は市販されていないため、すべて手作り。珪藻の拾い出しや分類には細い毛先を使用。(写真下)珪藻を並べる際、スムーズに作業ができるよう種類ごとにカバーガラスにストック。かすかに見える白い粉末のようなものが珪藻

私はゴミがなく、完全なる暗黒の背景に珪藻だけがキラキラ輝いて見える完璧な正しいものを作りたい、作れると思っていました。肉眼では見えないチリやホコリでも珪藻と比べるととても大きく、ひとつでも入り込むと台無しです。全ての工程で不純物を完全に取り除く必要がありました。これが非常に難しい。


海や川から採取した珪藻は、水を張った容器に入れて持ち帰りますが、この中に泥や他の生物が混ざっています。薬品処理をして有機物を取り除き、ガラスの殻だけ残した後は、ひたすら水ですすぎ洗浄。市販の精製水やコンタクト洗浄水でも不純物が混ざっているため使えません。温水の湯気を凝結させ集めた水滴で作った高純度の蒸留水で洗います。


洗浄後に乾燥させたら、種類ごとに分類しストックします。スライドガラスやカバーガラスを汚れがひとつも残らないように磨きあげ、封入に使う樹脂の純度を高めるためにろ過作業を行い、ようやく珪藻を並べる準備が整います。珪藻を並べて最後にカバーガラスと樹脂で封入しますが、これで終わりではありません。完成した標本をピカピカに拭く工程があります。並べる作業も拭く作業も、風が少なく、人の出入りがなく、体調の良い日に限られます。すべての条件が重なった日にひたすら作業して、ついに「正しい標本」の完成です。

そこまで精度の高い作品を作れるのは、これまでやってきたことと関係がありますか?


微小な静電気の力を利用して珪藻を拾う。膨大な時間と高い集中力が必要。「拾ったり並べたりする作業はとても大変ですが、とにかく没頭しているので、無の状態」

経験が技術を生み出します。珪藻という扱いが難しい素材を完全なプレパラートにする技術は、培ったスキル(技能)や考え方があるからこそ成り立っていると思います。大切なのは、技術を理論で説明できること。カンではありません。作業時の周囲の環境、道具、姿勢や力の入れ具合、そして珪藻の並べ方についてもすべて理論的に考えています。


私は子どものころから釣りに熱中し、魚や水の生き物が大好きでした。天体観測にも憧れていて、10歳のクリスマスに親戚に買ってもらった天体望遠鏡がうれしくて、ファインダーを常に持ち歩いていました(笑)。その頃からレンズに魅せられていたんですね。そして大学の先生を目指して、研究室で顕微鏡の勉強を始めたころに珪藻と出会いました。


研究員時代に光学・化学分析・環境・顕微鏡・講義のスキルを身につけていましたから、振り返ると海の生き物、望遠鏡、レンズなど、あらゆる経験が仕事に生きていると思います。これらの経験を多くの方々に参考にしていただきたいので、年に1回、専門の学会で報告をしています。

「ミクロワールドサービス」で出品すると、40分であらかた売れてしまうほどだとか。大人気の秘密はどこにあるのでしょうか?


「ぐるっと円形の珪藻アートは、顕微鏡をのぞいたときの視野に沿って並べることで完成。三角形・四角形を組み合わせて並べていくと、アートとして解釈されるものが出来上がります。必要なのはアートのセンスではなく、技術です」

毎年、販売用のホームページで数十点ほど掲示すると、すぐに注文が入り、あっという間に売り切れてしまいます。ほとんどが繰り返し注文してくださるお客様です。一度、漆黒の闇に浮かぶ珪藻を見てしまうと、その姿に魅了され次の新しい世界をのぞきたくなるのかもしれないですね。また、品質を維持していることも人気の秘密だと思います。


顕微鏡でしか見られない珪藻標本でしたが、福音館書店の『珪藻美術館 ちいさな・ちいさな・ガラスの世界』が出版されたことで、一般の方にも写真で珪藻のことを知ってもらえるようになりました。以来私は「珪藻アーティスト」と呼ばれることもありますが、自分でそう思ったことはありません。自然が創り出した不思議な形と模様、そして幾何学的に並んでいることが、人間の目にアートとして認知されるのでしょう。


一切の不純物のないありのままの珪藻を見せるために、光学や化学に基づいた製作技術を提供するのが私の仕事だと思っています。

奥さんのような唯一無二の仕事をするため、子どもにどのようなメッセージを送りますか?


(写真上)顕微鏡をのぞくと、そこには幻想的な世界が広がっている。五角形のミツカドケイソウやクチビルケイソウなど、それぞれの個性を生かした六芒星(ろくぼうせい、星形六角形)に。(写真下)メガネケイソウを並べ、花のような形に。写真では紫や水色に輝いて見えるが、光の当て具合で赤みが強まったり緑色に見えたり、さまざまな光の変化を楽しめる

もし今、好きなことがあるなら徹底的に没頭してほしい。手や頭を動かして、徹底的に追求する。そのときゲームとかテレビ番組とか他人の目とかはどうでもいい。何か気になることがあるなら、たくさん本を読んで調べる。大人に聞いてみる。ダメでもいいので自分で確かめてみる。とにかく納得するまでやってみる。そういった経験は将来何かのタネになるかもしれません。


子ども時代はおそらく人生のなかで一番ものごとに集中できる時期。大人のように「ごはんを作らなきゃ」「掃除をしなきゃ」とかで中断されることもありません(笑)。アンテナが張っている貴重な時間を、自分がやりたいことに没頭してほしい。体験や経験を積むことは、将来きっと役に立ちますよ。

 写真提供/ミクロワールドサービス

取材・文/秋音ゆう