嫌な思いも必ず生きる。「スポーツ弱者」でも楽しめる「ゆるスポーツ」を開発

2022.01.11 わたしのしごと道

[世界ゆるスポーツ協会代表理事・クリエイティブディレクター ]澤田智洋(さわだ ともひろ)さん

1981年生まれ。幼少期をパリ、シカゴ、ロンドンで過ごした後、17歳で帰国。2004年に広告会社入社。さまざまな企業や自治体などのキャッチコピーを制作。国際的なイベントのプロデュサーも務める。 15年に「世界ゆるスポーツ協会」を設立。老若男女、障がいの有無を問わず、誰でも楽しめる「ゆるスポーツ」を開発し、イベントなどで20万人以上が体験。17年に「一般社団法人障害攻略課」を立ち上げ、ひとりを起点に服を開発する「041 FASHION」、身体の機能を他人にシェアするアテンドロボット「NIN_NIN」など、福祉領域のビジネスも多数手がける。著書に『ガチガチの世界をゆるめる』(百万年書房)、『マイノリティデザイン』(ライツ社)。

澤田さんが代表理事をつとめる「世界ゆるスポーツ協会」とは、どんな活動をする団体でしょうか?


「世界ゆるスポーツ協会」は、「スポーツ弱者を世界からなくす」ことを目指して立ち上げました。「スポーツ弱者」というのは僕が考えた名前で、障がいや高齢などいろいろな理由で既存のスポーツができない、あるいは走ることや球技が苦手で嫌な思いをしたことがあるなど、スポーツと距離がある人のこと。そんなスポーツ弱者でも楽しめる「ゆるスポーツ」という競技をゼロから作っていて、現在100競技くらいになりました。


「ゆるスポーツ」の目的はまず「遊ぶ」ことで、何かを学ぶことではありません。現代は何かを成し遂げるための目的に縛られていて、途中でゴールを変えた方がいいのに、それができずに変な方向に行ってしまうことがよくあります。「一回、目的を手放してみよう」という行為が遊びです。「ゆるスポーツ」は何の生産性もなく、生産性がむしろ下がることを推奨しています(笑)。何も生み出さない「遊び」をすることによって、ある種の人間らしさを回復させるという狙いです。

ゆるスポーツのイベントに参加する澤田さん。「僕自身、スポーツが一番苦手。『世界から何がなくなってほしい?』と聞かれたら『スポーツ』と答えるくらい(笑)。さらに僕の息子は視覚障がいがあるためスポーツする機会が少なくて。親子そろってスポーツ弱者だったことが、この団体を立ち上げたきっかけです」

ゆるスポーツを作る「スポーツクリエイター」という仕事は、どのような背景で生まれたのでしょうか?


(写真上)専用のハンドソープをつけ、滑る手でボールを扱う「ハンドソープボール」。(写真下)「ゆるスポーツ」を作るワークショップの様子。子どもや学生、年配の人、主婦など一般の人もどんどん巻き込み、スポーツクリエイターの輪が広がっている

「スポーツ弱者」が楽しめるスポーツが不足しているので、新しいものを作る必要があり、それを考える職業も作らなくてはいけなくって。それが「スポーツクリエイター」です。既存の概念にないプロジェクトができると、新しい職業が増えるんですね。スポーツクリエイターは世界に一人もいなかったので、まずは僕がなりました。最初に作ったのが「ハンドソープボール」という競技で、ツルツルのハンドソープを手につけてやるハンドボールです。


スポーツクリエイターに求められている資質が分かってきたら、それをマニュアル化しました。「誰に向けて」「予算はいくら」「どのテクノロジーを使うか」「必要なフィールドは」などの条件の中で、最適なものを作るのがスポーツクリエイター。まず知り合いの映像作家やアニメーター、グラフィック制作者などに声をかけました。制約の中でどう遊ぶかがクリエイターなので、彼らならできるだろうと思って。300人ぐらいにスポーツクリエイターと名乗ってもらって一緒にスポーツを作りました。

「世界ゆるスポーツ協会」だけでなく、広告、福祉とさまざまな仕事をされています。それぞれ、どのような比率で働いているのでしょうか?


「障害攻略課」の「障害」は身体的な障がいではなく、「人の外にある障害」のこと。車いすが乗り換えられない段差 、障がいのある人に向けられる偏見や差別意識をゲーム感覚で楽しく攻略しようという取り組み。写真は、澤田さんが企画・プロデュースした忍者の形をしたロボット「NIN_NIN(ニンニン)」。視覚障がい者の人が肩に乗せて起動すると、「目をシェアしてもいい」という人が、遠隔でパソコンなどの画像を見ながらガイドできる

広告会社の社員でもあり、「障害攻略課」という福祉団体にも関わっていて。広告、スポーツ、福祉、3つの仕事を平行しながら3割ずつくらい。残りの1割は教育、宇宙などの新しい取り組みです。どれも広告と関係のないところから始まっていますが、結果的にスポーツも福祉も一部は広告会社の仕事とつながっています。

いろいろな領域の仕事をするのは、一つの業界だけにいると単一的な価値観になってしまうから。会社の一部の人だけで行った判断は、一般社会とずれてしまいがちです。多様な人間が介在して、日々新しい価値観に触れていれば、「こういうマイノリティーがいる」「こんな悩みがある」と視野が広がり、自分の働き方にも影響を与えます。誰しも「社会で何か貢献したい」と思って仕事を始めたはずなのに、一つの会社だけにいると「会社や上司に貢献しなければ」となってしまいます。「社会のために」という軸をぶれさせないためにも、社会での立ち位置を固定化せず、どんどん変えているのです。

澤田さんが仕事をする上で、大切にしているものは何でしょうか?


澤田さんが広告の仕事で手がけた「ブラインドサッカー世界選手権2014」のポスター。「見えない。そんだけ。」というコピーが話題に。「広告の仕事がうまくいかなくても、スポーツの弱い自分と、福祉の慈悲深い自分がまだいるから、それをよりどころに明日頑張ろうという活力が出てくる。いろいろな顔を出せる状態を作っておくのは、自分を守るために大切」

コンセプトは「マイノリティーが暮らしやすいよう、社会を変えたい」という思い。手段は広告でもスポーツでも福祉でも教育でも何でもよくて、大事なのは自分の上司を何にするか。僕の場合は人間の上司ではなく、「マイノリティーの力を引き出したい」という哲学や夢そのものを上司にしています。


そして、苦手なことやコンプレックスを捨てないこと。好きなことを仕事にすることもすてきですが、「ゆるスポーツ」は、そもそも僕が「世界一スポーツが嫌い」というところから生まれた仕事です。苦手なものを捨てずに持っておくと、いつか自分の人生を救ってくれます。自分と関係なさそうな障がい者に対しても、「目が見えない人は、見るのが苦手な人」「車いすの人は、歩くのが苦手な人」と、自分と同じく苦手なことがある人だと地続きになっている感覚を得られます。いろんな人と心の中で関係性を持つことって大切なんです。

「社会を変えていく」のは大変なことだと思います。向き合っている仕事で壁にぶつかったとき、乗り越えていくヒントとは?


(写真上から)「イモムシラグビー」「ベビーバスケ」「まゆげリフティング」「打ち投げ花火」など、さまざまな人が参加することができる「ゆるスポーツ」。「人間は遊びを通じて、『こういう速さで走ったら転んで痛いんだ』と世界との関わりを学んだり、仲間との関係性が育まれたりします。遊びにはいろいろなシミュレーションが詰まっているので、気付いたら生きる上での術(すべ)が身についている。それが面白いところ」

僕はすごく単純なので、そもそも壁と思わないかも(笑)。例えば「ゆるスポーツ」の場合。これまではサッカーという既存のスポーツに人が合わせていたものを、ある日「スポーツが人に合わせればいいのでは?」とひらめいて。「走るのが遅い人が楽しめるスポーツを作ればいい」っていうアイデアを思いつくと、どうやったら実現というゴールに早くたどり着くかというゲーム感覚になるんです。


自分で思いついたアイデアを実現するには、確かに見たことがない壁が立ちふさがります。でもそれをクリアするには自分で立ち向かうしかなくて、結局ゲームを最初にクリアした人になるんです。それが純粋に面白い。無我夢中に取り組んでいたら、「こういう攻略法だったんだ」「こんな問いかけがあったんだ」と、学びや経験値が貯まっていて、また新しいアイデアを思いつくんです。その繰り返しです。

将来、自分の職業を考える子どもたちに、伝えたいメッセージはありますか?


「将来の事を考えるときに、『何が得意か』だけでなく、『何が苦手か』もとても大事。知識や技術技能、スキルやテクニックはまねできるので、他の人とかぶることがありますが、自分が経験したことや記憶はオリジナルで独創性が宿っているんです」

さまざまな経験、味わっている感情の全てが未来の自分の材料になります。僕は40歳になってようやくそれに気づきました(笑)。小中学校のときに「しんどいこと、嫌なことがいっぱいあるな~」と思っていたのですが、大人になってから良かったことも良くなかったことも全部がつながって星座のようになったんです。「ゆるスポ-ツ座」という、不思議で、独自性のある星座に。


もし今嫌なことがあっても、未来の空に浮かぶ一つの星になると思ってほしい。大人になってから自分で星をつなげたり、誰かが星をつなげてくれたり、あるいはあなたが誰かの星をつなげたりしているかもしれない。全てが未来のいい材料なので、日々のさまざまな出来事と向き合ってほしいな。「嫌な思いが、いずれ必ず生きてくる」と断言します。それでもつらくなったら、ゆるスポーツをやりに来てください(笑)。 ゆるスポーツ自体が、僕がスポーツが苦手で、息子が目が見えないという、一見すると不幸なことがなければ生まれなかった愉快な世界。これが、どんな体験も将来の材料になることの証明のひとつです。

写真提供/澤田智洋さん

取材・文/米原晶子