スポーツ記者 のしごと

2024.11.28 紹介します○○のしごと

雨宮さんは、月に1度、朝小の「週刊朝スポ!」コーナーにも寄稿しています=2024年9月、東京都千代田区
「Number」(文芸春秋)編集部員としても働く、フリーのスポーツ記者の雨宮圭吾さん

雨宮圭吾さん

「Number」(文芸春秋)編集部

選手の「ドラマ」 取材し伝える

試合の結果だけでなく、大舞台へいどむ選手の思いや、名勝負、歴史的な記録の裏側などを取材して伝えるのが、スポーツ記者です。選手を追いかけ、海外の試合を取材することもあります。

スポーツの総合雑誌「Sports Graphic Number」の記者である雨宮さんは、フランス・パリオリンピック(五輪)を現地で取材。約1か月、スケートボードや柔道、テニス、ブレイキンなどの競技会場を飛び回りました。

原稿を書くにあたり、選手だけでなくコーチや家族など周りの人にも取材します。「選手もときには本音を話さないことがあるので、『選手が口にした言葉はどれだけ本心なのか』などを、試合の結果や周りの人の話からおぎなうようにしています」

「選手のファンになりすぎない」ことも大切です。いいところも悪いところもふくめ、選手を分析し、批評する力が求められます。

屋外の競技では強い日差しの下で長時間取材したりと、大変なこともありますが、「おもしろい試合を目にすると、どんなすごいことをしたのか、多くの人に伝えたい気持ちがわきでる」と雨宮さん。勝負の世界で生まれるドラマを現場の空気感も盛りこみながら、読者に届けます。

あゆみ

1979年
東京都生まれ
小学校時代
野球チームに入っていました。足が速く、1番打者でした
中学校時代
陸上部へ入り、種目は短距離走でした。部活が終わると、友だちとゲームを楽しんでいました
高校時代
サッカー部に入部。2年生のころ、アメリカ・アトランタ五輪出場のサッカー日本代表選手たちの思いが書かれた「Number」の記事を読み、スポーツの裏側に興味を持つように。スポーツを書く仕事を意識し始めました
大学時代
上智大学文学部社会学科(当時)へ
2002~19年
02年にスポーツニッポン新聞社へ入社し、プロレスや格闘技、相撲、ゴルフを担当。新人時代は、原稿を5~10回書き直すこともあったそうです
19年~現在
19年3月に独立し、フリーのスポーツ記者に。Number編集部員として、記事の執筆や編集にあたっています
やりがいや苦労

相手の生き方までも文章に

読者からの「おもしろかった」という反応はもちろんのこと、「取材した相手に喜んでもらえるのが一番うれしい」と話す雨宮さん。「感動して涙が出ました」と言われたこともあったそうです。「相手にほめられるために書いているわけではありませんが、しっかりその人を描写できたのだなと思うとうれしくなります」

人間は極限の状況になると、どう考えるのか? どうしたらコツコツ努力をし続けられるのか? そうした生き方もふくめ、スポーツのさまざまな価値を発信できることにもやりがいを感じているといいます。

思い出のしごと

2021年の東京五輪後の秋、スケートボードで金メダルをとった堀米雄斗選手を取材するため、アメリカへ行きました。コロナ禍で、飛行機に乗るのも緊張するような時期でしたが、彼が暮らす場所で1対1で話を聞けることは楽しく、ぜいたくな時間でした。

フリーのスポーツ記者の雨宮圭吾さんが、東京五輪後にスケートボードで金メダルをとった堀米雄斗選手を取材した記事が載った「Number」(文芸春秋)の号の表紙

おしごとあるある

生で試合を見られてうらやましいと思うかもしれませんが、何も考えずに試合を楽しんで見ていることはあまりありません。試合中は記事の構成を考えていたりするので、「この勝負の展開になると、どんな原稿になるんだ……」と見えなくなるときがあります。

書きやすい試合の結果になってほしいと願いながら見ているときほど、なかなかそうならないのは、スポーツ記者あるあるかもしれません。

なるためには?

特に資格は必要ありませんが、スポーツを見ておもしろいなと思ったら、その選手や、その選手の周りのことをいろいろ調べてみてください。その人がどんな考えを持っていて、どうしてそのプレーをしたのかなど、プレーの裏側にあることを考えていくと、スポーツ記者の基本が身につくかもしれません。100文字や200文字で書いてみて、だれかに読んでもらうことで、書く楽しさや伝える大変さがよくわかると思います。

2024.10.14付 朝日小学生新聞
構成・佐藤美咲

毎週月曜連載中の「教えて!〇〇のしごと」から記事を転載しています。
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