[おりがみはうす代表・折り紙作家]山口 真(やまぐち まこと) さん
1944年東京都生まれ。折り紙メーカー・トーヨーの「教育おりがみ」をはじめとした折り図制作や、書籍を150冊以上出版するなど、折り紙界の第一人者。1989年に折り紙専門のギャラリー「おりがみはうす」を開設。日本折紙学会事務局長(2023年4月からは顧問)として、若手作家の育成や、海外の折り紙団体・作家との精力的な交流を行っている。著書に『超絶のおりがみ』(西東社)、『1年中楽しめる 暮らしの折り紙』(日本ヴォーグ社)、『日本のおりがみ12か月』(ナツメ社)、『クリエイティブ折り紙 妖怪と干支と可愛い動物たち』(ソシム)など多数
長年、折り紙作家として第一線で活躍されています。折り紙に携わるようになったきっかけは?
大学卒業後、お金を貯めてヨーロッパを旅していました。カメラマンを目指して日本の写真学校へ行き、再びヨーロッパに渡って「ル・マン24時間カーレース」などの撮影をしていたのですが、カメラなど機材一式の盗難にあってしまってね。帰国してカメラマンの助手になりました。
そのカメラマンが日本折紙協会の事務局長をやっていて、「折り紙やってみたら」って言われて。ちょこちょこっと作ったら「いいね」って褒められて、豚が木に登るような感じで(笑)。いろいろ作品を作っているうちに、「折り図(折り方の説明図)を書くプロになったら?」とアドバイスされ、日本折紙協会の「月刊おりがみ」という本の折り図を描くようになりました。
パソコンがない時代は、方眼紙に製図用の針先のようなペンで、外形線を0.5ミリ、折り筋は0.1ミリなど強弱つけて図を描き、写植(印刷用の文字)を切り貼りして版下を作ったという。「転機はどういうきっかけでくるかわかりません。私はいい人に巡り合えて、いいアドバイスをいただいて、折り紙の世界に入りました」
デザインの勉強をしたわけではないので、版下(図や文字が配置された印刷の元になる原稿)作りも見よう見まねでした。その後、プラモデルなどの専門誌を経て、やはり折り紙をやりたいと思いフリーランスに。当時は男性で折り紙を仕事にする人は少なかったのですが、自分と波長があったんでしょうね。
折り紙だけで生活できる作家は数えるほどだとか。山口さんは、どのように折り紙を仕事に結び付けていかれたのでしょうか?
(写真右)日本折紙協会で初めて褒められたというクリスマスツリー。一段ずつ1枚の折り紙で折ったパーツを組み合わせている。(写真左)30年前にトーヨーから「歌舞伎に関するものを」というリクエストで作った連獅子(れんじし)。今や伝統折り紙のような定番に
長い歴史のある日本の折り紙ですが、50年前は折り紙の作品がそんなになくてね。フリーランスになりたての私は、依頼があれば徹夜で新作を考えました。そのうちトーヨーの「教育おりがみ」をはじめとする折り紙商品に、私の作品と折り図が使われるようになって。それを機にいろいろな出版社から声がかかり、折り紙の本を出版することになりました。
仕事として続けていくには、折り紙がうまいだけではなく、売れる商品や本を作らなくてはいけません。多くの人が好むのは「折りやすい、かわいい、きれい」なもので、私の当初の作品にはそういうのが多いですね。『おりがみ事典』(西東社)は15年かけて海外翻訳を含め累計40万部が売れ、現在は150冊を超える著書があります。
今、若手でリアルなすごい作品をつくる作家もいますが、プロとして生活が成り立つのは5人いるかどうか。トーヨーや複数の出版社とは長い付き合いで、ある意味私のスポンサーのようなもの。お世話になっている人たちの期待に応えたいと、一生懸命仕事に取り組んできことが今につながっていると思います。
山口さんの折り図(折り方の説明図)は分かりやすいと定評です。折り図を作るときにこだわっていることは?
(上)半世紀以上、山口さんが携わっているトーヨーの「教育おりがみ」。折り図の下に川のような「帯」が敷いてある。(下)ツルに国旗が浮かび上がる「おりづるOrizuru」は、海外の人でも折れるように説明文を省き、手のイラストを入れたユニバーサルデザインが画期的
折り紙作品を人に伝えるためには、再現できる折り図が必要です。でも折り図を描くのは手間も時間もかかり、本を作る過程でいちばん大変な作業です。
昔の折り図は2つぐらいの工程を一気に説明したり、難しい部分を省略したりして分かりにくかったんです。そこで私は1つの図で1つのことを説明する「一図一折(いちずいちおり)」で表すようにしました。折る手順が一目で分かるように、折り図の下に川のような「帯」のイラストを敷いたのも私が初めて。今や定着したやり方で、海外でも採用されています。
難しい作品だと、折り図だけで200図以上になることもありますが、私が監修するときには「おりがみはうす方式」と言われる折り図に修正していきます。 おこがましいですが、私の折り図が折り紙界に与えた影響は大きいと思います。わかりやすさが出版社やユーザーから支持されたのだと思います。
折り紙の世界に入ってから、一番のターニングポイントはなんでしょう?
(上)ギャラリー「おりがみはうす」では、山口さんが収集した世界中の作家の作品を展示している(コロナ禍で現在は公開中止)。(下)昔の「折紙探偵団新聞」と、現在の1500人いる会員向け冊子「折紙探偵団マガジン」。「おりがみはうす」が発行元になる若手作家の書籍もホームページで販売している
1989年に「おりがみはうす」というギャラリーを設けて、折り紙愛好家の作品を展示するようになったこと。そして「折紙探偵団マガジン」を作ったことですね。
折り紙は子どもを中心とした優しい世界からスタートしますが、成長してくると簡単なものだと飽き足らなくなってきます。そこで90年に愛好家4人で「折紙探偵団」というグループを立ち上げました。月に1回会って情報交換しているうちに、「会報誌を作ろう」となって。ワープロで手作りした「折紙探偵団新聞」を発行し、これが現在の「折紙探偵団マガジン」という会員誌に発展し、新作や論文などを掲載しています。
いろいろな人と出会い、作品を見せ合う中から新しいアイデアが生まれます。ある会員が、「1枚の紙から6本足の昆虫」を作るようになり、私が別の会員に「飛ぶようにしてみたら」とアドバイスしたら「飛ぶカブトムシ」を作ってきて、昆虫戦争が始まりました(笑)。スーパーコンプレックス(超複雑系折り紙)の若手作家も、こうして刺激し合ってスキルを磨いてきました。
50年以上折り紙を続けてこられました。折り紙の面白さはどこにありますか?
(上)現在、「イヌ・ネコ」がテーマの書籍を制作中。(下)テレビ東京「TVチャンピオン」で優勝した神谷哲史さん(おりがみはうすスタッフ)の代表作「龍神」は100万円の値がついたことも。これらスーパーコンプレックスと言われる大作が折り紙界を牽引する
折り紙は制約があるから面白いんです。一般的な折り紙は15㎝の世界。子ども向けの折り紙なら、難しい折り方を省いて簡単にしても、作品として形が分かるようにしなくてはいけません。また、マニアの間ではハサミを使わず正方形から作り上げるという、私が名付けた「不切正方形一枚折り(ふせつせいほうけい いちまいおり)」が大切にされています。制限があるから工夫するし、挑戦したくなるのです。
折り紙界をピラミッド型で例えるなら、私の作品は土台を支える幅広いユーザーがいる遊びとしての折り紙。上のとがったところに若手がしのぎを削るスーパーコンプレックスなど作家性が強くアートな折り紙があります。
最近は「ミウラ折り」として知られている人工衛星のソーラーパネルをはじめ、血管を補強するステントグラフト(人工血管)や再生医療、車のエアバッグなど理系の分野でも折り紙の概念が生かされていて。折り紙はリアルな課題解決の手段としても注目されています。
将来、仕事をして生きていく上で、子どもに大切にしてほしいことは何でしょうか?
「アメリカで折り紙の伝道師と言われるマイケル・シャルが、『Origami is for anyone, anywhere, any time!(1枚の折り紙があれば、いつでも、どこでも、誰でもが楽しめる)』という言葉を使って折り紙を広めました。私も偶然に入った折り紙の世界ですが、楽しいからここまで続けてこられました」
あいさつや返事など、社会の基本的なことができると人から好かれます。どの世界でも自分一人で作り上げることはできないので、社会でプロとしてやっていくには、人から好かれることは一つのテクニックと言えます。
学校で嫌なこともたくさんあるでしょうが、子どもの頃に学習したことは、どんなものでも役に立つので大事にしてほしいな。折り紙の世界でも、最初に簡単な折り紙の経験があるからこそ、アイデアが思いついて新しい作品が生まれます。いきなりスーパーコンプレックスのすごい作品は作れません。
日本の伝統的なものがすたれていくと言われていますが、私はそんなことはないと思う。ベテランがコツコツ守ってきた作業でも、器用な若い人はすぐに追い越しちゃうこともあります。どんな世界でもあこがれは大切です。どういうきっかけで世の中に出るかわかりませんから、人との出会いを一つずつ大切にして、好きなことを積み重ねていってほしいです。