銭湯のペンキ絵で世界観を表現。銭湯絵の昔と今の違いとは

2022.02.28 わたしのしごと道

[銭湯ペンキ絵師]田中みずき(たなか みずき)さん

1983年東京生まれ。明治学院大学在学中にペンキ絵師・中島盛夫さんに弟子入り。大学院修了後、美術系出版社の編集者を経て、2013年に銭湯ペンキ絵師として独立。現在、日本に3人しかいない銭湯絵師の一人。銭湯や旅館、ホテルのペンキ絵制作のほか、銭湯を媒体としたアウディジャパン、ビームスなど企業のPR、映画『シン・ゴジラ』の公開PRなどのペンキ絵も手がける。イベントやワークショップで銭湯に関心を持ってもらう活動も展開。公式ブログ「銭湯ペンキ絵師見習い日記(田中みずき銭湯ペンキ絵制作記録)」。著書に『わたしは銭湯ペンキ絵師』(秀明大学出版会)。

銭湯ペンキ絵師とは? 具体的にどういう作業をするのでしょうか?


銭湯の浴槽の奥に、大きな富士山の絵があるイメージはありませんか。その壁画を描くのが銭湯ペンキ絵師の仕事です。映画や漫画などの影響で、銭湯には必ず壁画があると思っているかもしれませんが、実は東京を中心に関東圏に残っている文化で、近年ではタイル貼りにしたり、絵をなくして白い壁にしたりする銭湯もあります。


銭湯のオーナーから依頼を受けたら、まずは打ち合わせ。銭湯や浴室の様子を見ながら、オーナーがどんなモチーフを希望しているかを伺い、イメージ図を数枚描いて最終的な図柄を決めます。制作当日は朝8時には銭湯に到着し、木の板で足場を組んで、周りの壁や床が汚れないように薄いビニールやブルーシートでカバーしてから、土台となる空や富士山などの背景を描き始めます。だんだん細かいモチーフへと移行し、1日で男湯女湯の2面を仕上げます。下のペンキが乾かないと色を重ねられないので、乾きが遅い季節などは夜遅くまでかかることもありますね。

時間が限られているので、下塗りをせず前の絵が残っている上から「この辺りに富士山を描こう」という印をつけて、天井の方から下に向かって描き進める

銭湯に描かれる絵には、構図やモチーフなどに決まりはありますか?


オーナーのリクエストを聞き出して、イメージ図を何パターンか用意する。絵にして見せることで「このモチーフを足したい」などの具体的な要望が出てくることも

銭湯ペンキ絵には、「型」のような基本の構図があります。空を背景にして遠くに大きな富士山があり、ふもとには低い山並みや松、川などの水辺があるという構図です。私はその中に各銭湯の個性が出る特徴的なモチーフを入れるようにしています。上野動物園のパンダ、スカイツリー、ペットのネコや犬、鉄道など、オーナーのリクエストを描き込むのです。


今のように気軽に旅に行けない昔の人々の、「富士山を近くに見たい」という欲求が銭湯の大きな富士山につながっているのだと思います。今ならVRのゴーグルをかけてバーチャル体験するようなものでしょうか(笑)。疑似旅行ですね。銭湯に来て、「怒っていた気持ちが静まった」「落ち込んでいたけど富士山を見て元気が出てきた」など、いろいろな感情を抱くようです。湯船につかりながら、上を向いて“ぼんやり絵を眺める”のが銭湯の醍醐味(だいごみ)です。

銭湯のペンキ絵師になろうと思ったきっかけは?


「浴室に入るとパッと壁画が目に入ってきます。でもみんながそれを鑑賞するわけではなく、湯船につかってぼんやり絵を眺める人もいれば、絵に背を向ける常連客もいて。美術館に行列してガラスケースの絵を見る感じとは違う距離感がおもしろい」

大学で美術史を勉強していました。卒業論文で何を書こうかと迷って、紙に好きな作品やアーティストの名前を書き出してみたら、そのアーティストが銭湯をモチーフにした作品を描いていることに気づいて。そこで近くにある昔ながらの銭湯に生まれて初めて行ってみました(笑)。靴箱の鍵はどうやってかけるの? 番台では何をするの? どんなものを売っているの? 見るものすべてが異世界で、昔にタイムスリップしたよう。


浴室に入るとそこには大きな富士山の壁画。季節は冬で湯船から湯気が立ち上がり、人が出入りするたびにお湯も自分もゆらゆら揺られて。富士山がある絵の中に自分が入っていくような不思議な感覚になりました。文人画(職業画家ではない知識人が趣味として描いた絵)などを鑑賞するときに「画中に描かれた人物の気持ちになって風景を眺める」という見方があるのですが、それを体感する出来事でした。


その後、ペンキ絵師のイベントに参加してみたら、絵がどんどん描き替えられて数時間後にはまったく違う絵になっていくのがおもしろくて。実際の銭湯での制作も拝見し、描き方を教えていただきたいと師匠に弟子入りをしました。

絵師になると決めたターニングポイントはありますか?


さまざまな色のペンキをパレットの上で混ぜ合わせて色をつくる。ペンキのにおいがこもらないよう、夏も冬も窓は開けたままの作業。ハシゴを上ったり下りたりを繰り返す

ペンキ絵師の職人さんは高齢の方が多く、誰かが継がないと消えそうな文化でした。師匠から「就職をして週末にペンキ絵に関われば」と言われ、私も別の仕事をしながらならペンキ絵を続けられるのではと思い、大学院卒業後に美術関係の出版社に就職しました。


好きな絵に関われる仕事で貴重な体験でしたが、ペンキ絵師の仕事を継ぐには、どっぷりその世界に入った方がいいと思うようになり、出版社を辞めてペンキ絵に専念することにしました。独り立ちしたのは、大学3年生で見習いとして弟子入りしてから9年目のことです。


師匠から学んだのは、「見て盗む」という職人の学習方法です。現場では細かく教えてもらえるわけではないので、自分で描いてみて、うまくいかないところをどうするかを考えます。この体験から「自分で問いを立てて考える」という習慣が身に着きました。「体が基本だから、暑さや寒さに対処するように」と言われたことも印象的です。「職人は我慢するもの」と思っていましたが、ただ我慢するのではなく合理的に考えていいのだと勉強になりました。

仕事の幅が広がっていますね。どのような活動をされていますか?


(写真上)2021年春、人気アイドルユニット『紅月』(©Rhythm Link)の新曲プロモーションで東京・墨田区「大黒湯」に田中さんが描いたペンキ絵。期間中、日本で一番のリツイート数になった(画像提供:大黒湯)。(写真下)2021年夏、セレクトショップ、ビームスジャパン(BEAMS)と牛乳石鹸共進社のコラボ企画として、漫画家・文筆家ヤマザキマリさんの描き下ろしの絵を、田中さんが東京・台東区の「寿湯」にペンキ絵として制作。さらにその絵がインターネットのバーチャル空間「バーチャルマーケット6」内の銭湯で再現されて話題に(写真提供:ビームス)

銭湯以外に旅館やホテルの浴室に風景を描いたり、銭湯のペンキ絵を使ってPRしたりする仕事も増えました。実は昔の銭湯には、ペンキ絵や鏡の近くに小さな広告の板が並んでいて、近所の床屋さんや飲食店などの宣伝が飾ってありました。その広告費でペンキ絵が描かれていたそうです。


この流れを汲んで、上映する映画やアプリゲームのPR、外国メーカーの新車発表など、銭湯の大きなペンキ絵の画面を使って世界観を表現するのです。でも、ペンキ絵を描いたら終わりという広告ではなく、さらにSNSなどで情報を広げていきます。


例えば銭湯全体を使って、フロントに立て看板を置いたり、特別なのれんを用意したり、鏡にキャラクターのステッカーを貼ったり、ペンキ絵と一緒に浴室内を撮影できる日を設けたり…・・・。思わずSNSに載せたくなる「きっかけ」が準備されています。銭湯が身近なエンターテインメントの一つとして捉えなおされていると感じます。

時代が大きく変化するなかで、これからの銭湯ペンキ絵はどうなっていくと思いますか? 


「小中学生のみなさんには、今感じる『違和感』を覚えておいてほしい。そう感じる理由を調べていくと、さまざまなことを考えるきっかけになると思います」

「銭湯は古臭い」と思っている人もいるかもしれませんが、若い人にとってはそれがレトロでかわいいいものとしてプラスの評価になっています。世代や時代が変わると感じ方も変わってくるんです。私自身も銭湯が身近な存在ではなく、大学生で初めて入ったときはテーマパークに行ったような感覚になりました。客層が変わって、昔のように日常的に使う人が減り、月に何回かリフレッシュで訪れる人が増えてくると、求められる銭湯のペンキ絵も変わってくるでしょう。


街並みや時代の変化に合わせて、細かいモチーフの絵柄が変わったとしても、「広い空に富士山がある」という型のようなものは大事です。型があるから時代ごとの変化も感じられるので、それを守り続けたいと思っています。いずれ一周回って、もっと古典的な図柄が求められるかもしれないですしね。

取材協力/友の湯 ビームス 寿湯 Happy Elements 大黒湯

取材・文/米原晶子 写真/村上宗一郎