バルカン半島で「音楽に国境はない」を実現させた指揮者

2020.12.25 わたしのしごと道

[バルカン室内管弦楽団首席指揮者 ]栁澤寿男(やなぎさわ としお)さん

1971年長野県生まれ。国立音楽大学器楽科卒業。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を聴いて指揮者を目指し、97年より佐渡裕氏に師事。99年パリ・エコール・ノルマル音楽院オーケストラ指揮科に学ぶ。2000年東京国際音楽コンクール(指揮)第2位。03年より大野和士氏に師事。05年マケドニア国立歌劇場首席指揮者。07年国連コソボ暫定ミッション下のコソボフィルハーモニー交響楽団首席指揮者に就任。同年バルカン室内管弦楽団を設立。国内外で多くの交響楽団に客演し、旧ユーゴスラビアを中心に活躍している。

指揮者とは、主にどんなことをする仕事ですか? コンサートに至るまでにどのような準備をして臨むのでしょうか?


指揮者の仕事を言葉で説明するのは難しいのですが、自分の中で練り上げた音楽をもとに、演奏家がそれぞれ持っている音楽に方向性を示して、共にひとつの芸術作品を作り上げていくことだと思います。指揮をしている姿だけ見ると華やかに見えるかもしれませんが、何十人もの演奏家と共同作業をしながらまとめていくのは、相当な精神力と準備が必要です。

(写真)栁澤さん愛用のタクト(指揮棒)と、読み込まれたベートーベン「交響曲第9番(第九)」とストラビンスキー「春の祭典」の楽譜。コンサート前にできるリハーサルは1、2日で、多くても3日程度。「限られた時間の中で音楽を作り上げるので、指揮者は時間の節約家でもあるんです」

最初のリハーサルまでの準備として、各楽器がどのような音を出すのかなど、楽譜を隅から隅まで徹底的に読み込こんで構成を把握します。その作品が作られた時代背景も踏まえ、リハーサルが始まるまでには、音楽が頭の中で明確に出来上がっていることが大切です。


リハーサルではそのオーケストラが元々持っている演奏スタイルや、演奏家のアイデアを柔軟に組み合わせ、瞬時に仕上がりのバランスをみながら音楽を組み立てます。コンサートでの特別な緊張感の中で、指揮者とオーケストラがどのように一体感を成し、結果的にどのような音楽が出来上がるかということが楽しみのひとつですね。

同じ曲でも指揮者によって解釈が違ったり、演奏が変ったりするのでしょうか?


(写真上)99年にフランスに留学したときに使ったガイドブック。「日常会話のページがよくできていて、最初はこれでよく勉強しました(笑)」。(写真下)パスポートいっぱいの出入国のスタンプ。紛争後の地域を行き来するのは、ときに困難な場合も

同じ曲でも同じ演奏になることはまずありませんね。私自身も同じ曲を別のオーケストラで、同じようにアプローチをしてもまったく同じようにはなりません(笑)。違う指揮者ならなおさらです。指揮者の解釈の違いもありますが、そもそも演奏家によっても音楽を感じる感覚は十人十色です。同じものができあがる方が難しいと思いますよ。


様々な指揮者やオーケストラのコンサートに足を運びましたが、超一流の指揮者の音楽は流れが自然です。70、80代の巨匠と言われる指揮者が指揮台に現れ、目の前で一生心に残る美しい芸術作品を作り上げていくのは本当に感動的です。

“ヨーロッパの火薬庫”とも言わるバルカン半島(旧ユーゴスラビア)を中心に音楽活動をされています。マケドニア(2019年より北マケドニア共和国)やコソボに行くきっかけは?


コソボでは日本のような反響板を備えたクラシック専用のコンサートホールはなく、広い集会場のようなところに800席ぐらいパイプ椅子を並べての演奏会。「コソボフィルのみんなとは、戦後の文化史を作っているような感じで、ブラームスもチャイコフスキーもベートーベンの第九も初演でした。月に1回の演奏会は超満員で、廊下に人々があふれるほど活気のある演奏会になっています」

マケドニア*の国立歌劇場を紹介されてプッチーニのオペラ「トスカ」を指揮し、大成功を収めて2005年に首席指揮者になりました。しかし日本の音楽文化とあまりにも異なり、リハーサルが時間通りに始まらなかったり、演奏者が十分な準備をして来なかったりで、僕と演奏家との間に生まれた亀裂はやがて修復できない程になりました。それは多くの指揮者がこの地で受ける最初の洗礼のようなものです。


当時は私自身がまだ若かったこともありますが、旧ユーゴスラビア*時代の歴史的なことや独立後の音楽事情にも詳しくなく、日本と比較する観点でしか考えることができなかったのです。いつか彼らとの心のすれ違いを修復したいですね。


マケドニア*に滞在していた国際機関の職員に「隣のコソボ*にもオーケストラがあるらしい」と紹介され、最初の客演が大成功を収めコソボフィルハーモニー交響楽団の首席指揮者になったのが2007年。1999年にコソボ紛争は終わっていましたが、当時はまだ国連コソボ暫定行政ミッション下で、治安もまだ不安定だったころです。でもマケドニアでうまくいっていなかった私は迷わず引き受け、「今度こそ今の状況の中で、少しでも良いものを作ろう」という目標に代わりました。


旧ユーゴスラビア*とは:旧ユーゴスラビアは南東ヨーロッパのバルカン半島に位置した連邦共和国。1991年より独立の機運が高まり、民族紛争が勃発。現在、コソボ、北マケドニア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロの6カ国が独立を宣言している。


マケドニア*とは:旧ユーゴスラビアより独立し、91年国名を「マケドニア共和国」に変更。2001年、アルバニア系過激派勢力と政府軍との間に武力衝突。同年停戦合意。2019年に国名を「北マケドニア共和国」に変更。


コソボ*とは:セルビアの自治州だったコソボで90年代にアルバニア系住民とセルビア系住民が武装衝突。99年国連(UNMIK)による暫定行政が開始。2008年コソボ議会が独立を宣言し、約100カ国が承認している(20年9月現在)。

バルカン半島に関わり続けて10年以上になります。その原動力となっているものは?


(写真上)日本政府の文化無償援助でコソボフィルに届いた楽器に囲まれる栁澤さんとバキさん。(写真中央・下)2019年、野外特設ステージでのコソボ初の「第九」演奏会。最初はコソボで3畳1間くらいのアパート住まいで、停電も断水も日常茶飯事。「現在は日本に住んでいますが、ボスニアヘルツェゴビナやベオグラード、アルバニアなどのオーケストラの指揮もしていて、年に何度かはバルカンに通っています」(写真提供:栁澤さん)

今では大親友になっているコソボフィルの音楽監督、バキ・ヤシャリさんとの出会いです。コソボで初めて演奏したのはベートーベンの「交響曲第7番」。そのリハーサルの休憩時間に彼がこう言ったんです。「トシオには悪いけど、再び戦争になったら銃を持って戦争に行く。音楽会どころじゃない」と。私は言葉を失ってしまいましたが、バキさんは紛争で身内2人を犠牲にしていました。


そんなバキさんが本番の演奏会が終わったあと、涙ながらに言いました。「この前はあんなことを言って悪かった。音楽家は戦争に行くなんて言ってはいけない。音楽に国境があってはいけない。これからは人に優しく生きていきたい」。私の演奏が憎しみを抱えていたバキさんの心に影響を与えたのです。音楽家としてこんなにうれしいことはありません。そして私はコソボフィルの首席指揮者となり、その経験が今もバルカン半島に関わり続ける原動力になっているのです。

バルカン室内管弦楽団を立ちあげられました。どのような特徴の楽団ですか?


2017年ウィーン・コンツェルトハウスでのバルカン室内管弦楽団の演奏会。「サラエボフィルハーモニーに在籍しているバルカン室内管弦楽団のバイオリン奏者は、ボスニア紛争でサラエボが包囲されたとき、車なら10分で行けるところを銃弾を避けて歩き、毎日1時間かけてオーケストラの練習に行っていたそうです。命がけで開催されたコンサートは超満員。音楽をすることが生きるモチベーションだったと言っていました」(写真提供:栁澤さん)

旧ユーゴスラビアの民族共栄を願って設立したのが、バルカン室内管弦楽団です。2009年5月にコソボ北部のミトロビッツァで、国連コソボ開発計画や国際安全保障部隊、コソボ警察の協力のもと、戦後初となるマケドニア人、アルバニア人、セルビア人音楽家による多民族オーケストラのコンサートを実現しました。現在は、旧ユーゴスラビアを中心にバルカン半島全域の音楽家が集うオーケストラとして世界各地でコンサートを開催しています。


楽団が得意としているのはドボルザークやチャイコフスキーなど東欧の音楽で、力強い響きが魅力のオーケストラだと思います。これまでにジュネーブ国連欧州本部や、ウィーン・コンツェルトハウスなどで演奏を行っています。海外へ演奏旅行に行く機会が少ない彼らにとって、楽団は世界のひのき舞台につながる夢の扉のようになっていて、「バルカン室内管弦楽団のメンバーに呼ばれることがステイタスです」と答える楽団員もいてうれしいですね。

栁澤さんが指揮者として、これからの取り組んでいきたいことは?


「音楽は発想していくことが大切。子どもの頃に発想の素材となるいろいろな経験をしてほしいですね。私も魚と一緒に川で泳いで水が冷たかったとか、夕焼けの空がゆっくりと闇に飲み込まれていく様子とか、子どもの頃にのびのび過ごした何気ない時間や感覚が今の音楽にしっかり生きています」

バルカン室内管弦楽団のメンバーと、世界中のコンサートホールに立ちたい。それが私のライフワークだと思っています。


楽団員が集まるときは「1人の音楽家」で、そこには国も民族も宗教もありません。楽団員のひとりが、「地球上に住んでいるすべての人が、『世界市民』だと考えられればいいのに」と言っていましたが、すばらしい考え方ですよね。駆け出しの若手指揮者だった私が、マケドニアの地で空回りをし続けた日々や、バキさんはじめ多くの人々との出会いの中から多くのことを学びました。バルカン室内管弦楽団では、私が第三国の指揮者だからこそできることがあるのでしょう。これからもバルカン室内管弦楽団と世界中を旅し、共存共栄の素晴らしいハーモニーを奏でていきたいですね。

取材協力/浜離宮朝日ホール

取材・文/米原晶子 写真/村上宗一郎