映画、CM、官公庁の動画から農薬散布まで 依頼が殺到する理由

2020.12.02 わたしのしごと道

[ドローンパイロット]請川博一(うけがわ ひろいち)さん

1961年北海道生まれ。無人航空機ドローンのパイロットとして30年のキャリアを持つ、ドローン空撮の第一人者。産業用無人ヘリコプター事業を含めると空撮歴は約30年に及ぶ。メディア、官公庁、企業、農家の農薬散布などの多様な依頼を受け、国内CM空撮のうち7割を手掛ける。4Kカメラなど高機能カメラを搭載できる10機のドローンを運用する。有限会社レイブプロジェクト代表。

最近人気のドローンですが、請川さんはドローン歴30年以上で、「ドローンパイロット」の名付けの親だそうですね。


「ドローンは30年以上前からやっています」と言うと、「そんなに前からドローンはあったんですか?」と聞かれますが、『無人航空機」のことを総称して「ドローン」と言うので、ラジコンのヘリコプターも、固定翼の飛行機型もドローンなんです。多くの人がドローンと思っているプロペラがたくさん付いた機体は「マルチローター型ヘリコプター」と言ってドローンのひとつ。最近では水中に潜るものも「水中ドローン」と言われています。航空機じゃないのにね(笑)。

マルチローター型ヘリコプターにカメラを取り付けて撮影をする。「当初、ドローンのイメージが湾岸戦争などでミサイルを撃っていた固定翼の無人飛行機だったから、『ドローン』と呼ぶのに抵抗がありました。これからは平和のために活躍すると思いますよ」(写真提供:請川さん)

ドローンが広く知られるようになり、一般の人も使うようになった数年間は事故が多くてね。首相官邸に不時着したり、マラソン大会で墜落したりして、いいイメージがなかったんです。でも「ドローンはいずれ社会貢献できる機材となり、仕事として活躍する時代がくる」と思って、「職業はドローンパイロットです」と最初から堂々と言っていたのが僕。いろいろな反響はありましたが、今や定着しましたね。

ドローンパイロットとして、どんな仕事の依頼が多いですか? またドローンを飛ばすときに心がけていることはありますか?


2017年、北海道の旭川理容美容専門学校のプロモーションビデオでドローンを使って撮影をする請川さん。「何ごとも余裕がないと安心できないんです。ドローンのバッテリーも、車の燃料も、携帯の充電も常に満タン(笑)。北海道にいるのも、いつでも操縦の練習やテストフライトができる環境にいたいから。練習できないとテクニックが落ちていきます」(写真:朝日新聞社)

テレビのドラマやバラエティー、CM、映画などの撮影の依頼が多いですね。ただ空撮をして「これ、ドローンだね」と思われる映像ではなく、「わ、これドローンで撮ったの?」と驚きと感動を与えるような「一瞬のひとコマ」を撮るのが僕の仕事です。例えば車のテレビCMの場合、車内の様子や運転している人が出てきて、最後に大草原の一本道を走っている空から見た映像をバーンと流して、「この車かっこいい!」と思ってもらえるような。そんな映像を撮るにはドローンの操縦技術だけでなく、カメラの映像技術も必要です。


いちばん心がけているのは、事故を起こさないこと。テストフライトをしてメンテナンスも完璧な状態の機体を撮影場所に持っていきます。何かあっても帰れる燃料を十分に残しておきたいので、バッテリーの充電が20分なら10分で帰ってきます。僕は誰よりも臆病で、誰よりも心配性なんです。年間300日仕事をしますが、無事故でいられるのはこうした安全策をしっかり担保しているからです。

子どものころラジコンクラブにいたそうですが、その技術が今につながっているのでしょうか。どのような練習をしていましたか?


2020年4月下旬、新型コロナウイルス感染防止で自粛期間中の誰もいない弘前城をドローンで撮影。コロナ禍で生中継のライブ撮影の依頼が増えた。青森県五所川原市の立佞武多(たちねぷた)祭、秋田県大仙市大曲(おおまがり)の花火大会、アーティストのライブ配信など、どれも人がいないからこそドローンを飛ばせるという特別な状況。「『いずれそのイベントに行きたい』と感じてもらえるように意気込んで撮影しました」(写真提供:請川さん 撮影協力:青森県庁)

僕はラジコンヘリコプターを操縦するセンスがなくてね。仲間から「ホバリングばっかりやって邪魔だから、ほかに行ってくれない?」と言われるような、どちらかというと何をやってもダメな劣等生でした。


下手でしたが、誰よりも好きだったから誰よりも努力しました。うまくなりたくて365日練習しましたよ。当時は河川敷など指定された場所でしかラジコンを飛ばせなくて、大きな橋の下が僕の練習場。雨は避けられるけど風が強く通り抜けるから、逆にいい練習になったね。


ラジコンヘリコプターは高価だから、故障すると自分で修理するんです。そうするとヘリコプターがなぜ飛ぶのか、なぜ落ちるのか仕組みを理解できるようになって、そのうち「動いて(傾いて)から操縦していては遅い。動きを感じたら“うつ(操縦する)”」ということに気付きます。そうなると空は友達です(笑)。

日本でスノーボードの普及にも深く関与されました。「誰もやっていないこと」を仕事にして、それが将来、一般的になると当時思っていましたか?


Phantom 4 Proという機種を飛ばすときは操縦に集中して、撮影はリモートでカメラマンが担当(左のリモコンでカメラの向きを操作)する(写真提供:請川さん)

僕は北海道育ちで、スキーは小中高と授業でやっていたから、大人になってまでやりたくなくて。雑誌でスノーボードに出合ったのが25歳くらい。スキー場でスノーボードを滑っていると、放送で「当スキー場は、スノーサーフィンを禁止しています」と怒られた時代です(笑)。ボードを手に入れるのも大変だから、自分でショップを始めたものの、禁止されている乗り物の専門店だから周囲からは反対されましたね。


それが1998年の長野オリンピックでスノーボードが正式種目に。世界でも周知されていなかった競技のため、僕がオリンピックのコーディネーションをすることになりました。その後日本のナショナルチームのコーチになり2006年のトリノオリンピックまで務めました。


誰も知らない頃にスノーボードを始めて「将来これがビジネスになる」とか、ラジコンヘリコプターを練習しながら「30年後にドローンの第一人者になる」なんて、その時点では考えていないですね。ただ趣味を情熱的にやり続けただけです。

ドローンパイロットとして、これからどんなことにチャレンジしていきたいですか?


ニュージーランドで海外のパイロットと研修したときの様子。シネマドローンという大きな機体を持つ請川さん(写真:請川さん提供)

ハリウッド映画に挑戦したいですね。技術を上げるために海外で年に1回の研修をしていて、いろいろな国のパイロットと交流していますが、日本人は決して負けていません。確かに、国を挙げて交通規制をしてダイナミックな映像を撮るアメリカのパイロットはどんどん名前が売れていくし、ドローンの製造は中国製がいい。でも指先の繊細さ、スティック(操縦棒)ワークの繊細さなどは日本人が優れています。僕が30年間やってきたことは、間違いじゃなかったと思っています。


実はハリウッドから一度リクエストがあったのですが、コロナ禍でつぶれてしまいました。またチャンスはくると思うので、その時は逃しません。映画のエンドロールに「ドローンパイロット、ヒロイチ ウケガワ」と出て、「あの有名なハリウッド映画を撮ったのは日本人だよ」って言ってもらえたら面白いですね。

これから将来を考えたり、仕事を選択したりする子どもたちに、大事にしてほしいことはありますか?


2019年、宮崎県立農業大学校で、農薬散布用ドローンのデモンストレーションをする請川さん。「ドローンは飛行時間も長くなり飛行性能が年々よくなって、どんどん進化しています。道路やトンネル、橋の裏の点検作業がラクにできるようになり、AIの顔認証を取り付けることで、犯人を追跡していく警備活動にも使えます。これからドローンは想像もつかなかった分野で大活躍していくでしょうね」(写真:朝日新聞社)

「好きなことがこれだ」と思ったら、あきらめないで一度「もういやだよ!」というくらい、とことんやったほうがいい。途中でちょっと寄り道をしても、「やっぱり好き」と思って続ければ、何らかの形できっと夢に近づいていきます。好きならがんばれる。


僕の将来の夢はパイロットでした。でも飛行機のパイロットになるには、学力も身体能力も優れていないといけないし、自分の視力ではジェット機を操縦できないことを知って挫折しました。夢ってなかなか到達しないんです。でも飛行機も空も大好きで、ラジコンをやり続けた結果、地上から飛行機を操縦するパイロットになりました。


以前、NHK総合の「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組に出演したとき、「プロフェッショナルとは?」と聞かれて「あきらめないでやり続け、日々努力し、自分の技術力に満足しないこと」って言いました。それは今も昔も変わりません。「これでいいんだ」という終点はないんです。好きなことのトレーニングを続け、あきらめないでほしいですね。

取材協力/旭川理容美容専門学校 宮崎県立農業大学校

取材・文/米原晶子