[建築家]長谷川逸子(はせがわ いつこ)さん
関東学院大学、東京工業大学を経て、1979年長谷川逸子・建築計画工房(株)設立。86年湘南台文化センター(神奈川県藤沢市)の公開コンペで最優秀賞を受賞。同年、日本建築学会賞、日本文化デザイン賞を受賞。早稲田大学、東京工業大学、九州大学などの非常勤講師、米国ハーバード大学の客員教授などを務める。2000年第56回日本芸術院賞受賞。2018年英国芸術院より第1回ロイヤルアカデミー建築賞授与。19年著作集「長谷川逸子の思考」(左右社)を出版。多くの文化施設や集合住宅を手がけ、国際的な建築家として活躍。
長谷川さんは公共建築を数多く手がけていらっしゃいますが、建築家として、どのように仕事を進めていくのでしょうか?
(上)代表作のひとつ、りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館(1998年)の模型。建物の周辺9ヘクタールの植栽や景観まで含めた設計を考えてコンペに提案する。(下)完成した、りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館(写真下提供/長谷川逸子・建築計画工房)
公共建築の場合、主に「プロポーザル方式」と「コンペ方式」という2種類の選定方法で建築家が選ばれます。「プロポーザル方式」は、建築家の経歴や実績が重視され、発注者が提示した課題にできるだけ合わせた提案をする「設計者」を選ぶのに対し、「コンペ方式」は、建築家の経歴は関係なく、自分のコンセプトを設計書にした「設計案」が選ばれます。私は自分の考えをしっかり表現できる「コンペ方式」に参加することが多いですね。
コンペに出すために設計書や模型を作り、コンペで選ばれたら具体的な設計図を作るのが建築家の主な仕事です。設計図ができたら見積もりを出して施工者を選定し、工事が始まります。
建築家の仕事は設計図までなのですが、私は施工時も現場監理人として現場に出て、完成するまで関わります。現場や材料などをこまめにチェックしないといいものができないので、いつも最後まで見るようにしています。
建築家としてこだわっているテーマは何でしょうか? アイデアの源はどこからきていると思いますか?
バルサ材で作った民家の模型の数々。「建築家になったばかりの頃、住宅を設計するために東北から沖縄まで1年くらい民家を見て歩きました。日本家屋は行事に合わせて多目的で使えるように、仕切りのない『がらんどう』と『長い距離』が特徴。そういう空間を現代の小さな家にも取り入れたいと実験的にやってきました」
日本人が快適と感じる瞬間って、さわやかな風が吹いたり、きれいな水が流れていたりという自然を感じる時ではないでしょうか。「第2の自然としての建築」と私は言っているのですが、公共建築を手掛けるようになってからは、建築と自然が融合した「アーティテクチャル・ランドスケープ(建築と周辺の一体)」を作りたいというのが大きなテーマです。
私が居心地いいと考える建築も、風通しが良くて自然光がたくさん入って、自然素材でできているもの。それは自分が育った古い家の、トップライトが入る土間や、漆喰(しっくい)壁や畳につながっています。子ども時代は自然が豊かな静岡で過ごしたのですが、原っぱでゴロゴロ寝転んだり、花を摘んだりして遊んでばかりいました。原っぱが大好きだったんです(笑)。
建築家が持つこだわりや直感的なこと、また構造、設備、材料などを重視して決めて行く時も、育った環境が影響しているのでしょうね。少なくとも私はそういう幼児の頃の生活を引きずっているようです。それが一番美しかったから(笑)。
大学時代はヨットに夢中だったそうですが、一方で建築家になろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
「工学部への進学を反対されたとき、男女で差別をされる理由を一生懸命考えたことがあります。住宅はそこに住む人たちのものだから、洋服をデザインするのと同じ感覚で女性が設計した方が居心地良くなるだろうという思いがありました」
高校2年生の時に隣に座った友人が、私が数学や物理を好きなのを知ると「父が大学の建築科を出て住宅を設計しているから、見にこない?」と言ってくれて。行ってみたら美しい図面を描いていて。家でも祖父が関わっていた造船の青図を父親が見せてくれたんです。油絵をずっと習っていましたが「絵を描くより建築科に行きたい」と思うようになりました。
でも当時は女学校から工学部に進学する前例がない時代で、学校の先生に反対されてね。そんな中、たまたま駿河湾でヨットに乗ったとき、私が潮の流れや風向きなどに敏感なことを知る友達が「ヨット選手になろうよ!」と、ヨットができる神奈川県の関東学院大学を探してきてくれました。「建築科もあるから」と段取りしてくれて行くことに。おかげで最初の2年間は学校にはあまり行かずにヨットに没頭して、国体選手に選ばれましたよ(笑)。
2年生の終わりごろ、小住宅の設計をして模型を作るという課題がありました。先生が私の模型を早稲田大学から東京の大学合同展覧会に出したら、建築家の菊竹清訓さんの目にとまったんです。3年生になると菊竹さんから大きなコンペの模型作りを手伝ってほしいと依頼されて参加しました。それがとても面白かった。菊竹さんに出会わなかったら建築家になっていないかもしれないですね。
初めての公共建築は1986年の公開コンペで最優秀賞を受賞した、湘南台文化センター(神奈川県)ですね。日本で女性初の受賞でした。どのような建築だったのでしょうか?
(上)は湘南台文化センターの模型。(下)湘南台文化センターの初期アイデアスケッチ。「図面を描く前には敷地を見に行ってスケッチをします。まっさらな敷地を見て生まれてくる想像力や直感力が自分にとっては大切。敷地へ行く前には市役所や図書館に行って歴史、住民活動なども調べます」(スケッチ提供/長谷川逸子・建築計画工房)
確かに女性初の受賞でしたが、公共建築の公開コンペ自体が初めてだったのです。それまでの公共建築は丹下健三さんや磯崎新さん、菊竹清訓さんなど有名な建築家がほとんど設計していて、優秀な住宅の設計者でも公共建築はできなかったんです。ですからそのコンペは建築家たちがみんな参加しました。
当初の設計は、建物の80%近くを地下に埋めたものでした。建物をなるべく地上に出さずに「原っぱ」と名付けた公園のような建築にしたかったんです。ところがコンペ案で「丘を復元して、建物を地下に埋めて」と説明すると、「それでは通らない」と言うので少し上げて(笑)。さらにスタッフが行政と打ち合わせする度に底上げされて(笑)。
身体障がいの人も車いすで入れるようなことも十分考えていました。今でいうバリアフリーですが、まだ国も考えていなかったですね。
施工主や、地域の方とコミュニケーションを取ったり、意見を取り入れたりするそうですね。それらは建築に反映されるのでしょうか?
(上)現在、制作途中の模型。(下)長谷川さんが設計した中国・上海漕河経(シャンハイ ツァオホージン)3号地オフィスプロジェクト(2014年)。「良いものを作ることにおいて男女は関係ないですが、ヨーロッパやアメリカのコンペでは1番になっても『男性パートナーを連れてきてください』と言われます。日本よりも女性が建築家になれない。国際的女性建築家は男性のパートナーと組む人が多いんですよ」(写真下提供/長谷川逸子・建築計画工房)
地域の人たちの生活や考えを反映したくて生の声をよく聞きます。長くコミュニケーションを取って、お互いに納得する形になっていくんだと思います。でも自分の大きなテーマやコンセプトはちゃんと残しています。
湘南台文化センターのときも、市民や行政から「公共建築は立派なビルだと思ったら、公園ではないか」と言われて。地下に潜っている建物を出して屋上庭園にすることを希望されました。市長さんから「住宅設計の時は住まい手と長く意見交換すると雑誌に書かれていました。ここでも市民と意見交換してください」と連絡があって、100回ぐらい意見交換をしました。
「こども館」も市は機械仕掛けの科学館にしようと思っていたようですが、お母さんたちが「長谷川さんのテーマ<世界・文化・生活>の方がいい」と言ってくれて、子どもミュージアムを依頼されて設計しました。一番面白いのは子どもの意見です。地元の小学生から「ゴミ箱を置かないで、持ち帰るようにしてほしい。ゴミ拾いが大変だから」と言われ、実行してみたらゴミのポイ捨てひとつなくなったのです(笑)。この考えは、その後の仕事にも生かしています。
大学の建築科は人気の進学先です。建築をやりたいと思っている子どもに、大事にしてほしいことはありますか?
「東京都墨田区向島の築100年ぐらいの古い長屋と迷路のような路地のあるエリアを、建築を学ぶ学生たちと地元の若い人たちとワークショップをして、まちづくりに取り組んでいます。多くのアーティストが集まり、高齢者も路地生活を楽しみに、豊かに見えるその生活をどうやって持続できるか。どうしてこの人たちは楽しそうなのかなどを調べて、このまちにはどんな生活や建築がいいのか繰り返し議論をしています」
建築って100年以上は持たせられるんです。変化してゆく建築技術だけでは残りません。長く使ってもらう建築にするには、建築に対する環境や社会、生活、哲学みたいなものまで、それら全てが建物に反映されます。ですから若い時にいろいろなことと関わり、様々な人と仕事をするためのコミュニケーションを学ぶことが建築を考えるベースとして必要です。
いろいろな建築を見たり、様々な体験をしたりするのもいいですね。山や海などに出かけて自然体験することや神社仏閣や仏像を見て見聞を深めていくのもおすすめします。すごく真面目に勉強ばかりしてきた人は、頭の中が権威主義になりがちで、図面にそういうのが全部出ちゃいます。自分が持っている感性を大事に育ててほしいですね。