災害医療現場で「判断する」看護師を育てる

2019.10.29 わたしのしごと道

[災害医療支援エキスパート](国際医療福祉大学大学院 保健医療学専攻 災害医療分野教授)石井美恵子(いしいみえこ)さん

1962年新潟県生まれ。北里大学病院救命救急センター在籍中、アメリカで災害時の行政・医療対応に関する研修を修了。日本看護協会、北里大学、東京医療保健大学を経て2018年より現職。03年イラン・バム地震、04年スリランカ・スマトラ沖地震、06年インドネシア・ジャワ島中部地震、08年中国・四川大地震、11年東日本大震災、15年ネパール中部地震などの災害支援に携わる。日本災害医学会理事、JICA国際緊急援助隊医療チーム総合調整部会アドバイザー、災害人道医療支援会(HuMA)アドバイザーを務める。

長く災害時の医療支援を続けてこられました。災害医療に興味を持つきっかけとなった出来事は何でしょうか?


イラン・バム地震の回復期支援の様子。HuMA(災害人道医療支援会)現地ナースと(写真提供/石井さん)

1995年の阪神淡路大震災ですね。当時、私は北里大学病院の救急救命センターに看護師として勤務していましたが、災害医療には関わっていませんでした。同年に地下鉄サリン事件も起き、アメリカの災害医療システムや危機管理を学ぶプログラムを北里大学が企画。その研修メンバーとしてロサンゼルスに派遣されたのです。すでにアメリカでは専門家が突然の災害への備えや、システム作りなどに取り組んでいました。そこで学んだことを日本に帰って研修で教え、病院の災害対策を作成していました。

 

そのうち「聞いたことを伝えるだけの教育では、魂が込められない。災害の現場を経験しなければ」と思うようになり、2003年にJICA(国際協力機構)に登録しました。すると、その2週間後にイランで地震が発生。私の夫はイラン人で、イランに2年間滞在した経験があったので「イスラム文化を知っている。ペルシャ語も話せる」と猛アピールしてイランに派遣されました。それが国際的な災害支援活動のスタートです。

災害時の医療は、普段の医療とどのような違いがありますか?


ジャワ島中部地震にてJDR(国際緊急援助隊)の活動。トリアージしている様子(写真提供/石井さん)

普段の一般外来や救急外来に来る患者数より、傷病者が急激に多数発生するのが災害の特徴です。ケガだけではなく災害によるストレスで心筋梗塞やエコノミークラス症候群なども増えます。その膨大なニーズに対して、限られた医師、看護師、資源などで対応をしなくてはならないのが災害医療の難しいところです。

 

ひとつの対策としてトリアージがあります。災害訓練などで赤、黄、緑、黒などに色分けされたタッグを見たことはありませんか? 「治療を優先させるべき人は誰か」を見極めて、1人でも多くの命を救うために資源を投入するというのが、災害医療の考え方です。ライフラインもない被災地で治療はできないので、ヘリコプターなどで広域搬送する態勢も阪神淡路大震災を機に作られました。

 

救急医療で何よりも大事なのは時間との戦いです。心筋梗塞でも治療が30分以内で行われるのと、5時間経ってから行われるのとでは社会復帰する確率が全く違う。それは災害時も同じなわけで。現場がどんな状況でも、いかに早く適切な医療を受けられるかがとても大事なのです。

災害時はどのような看護師や医師が活動するのでしょうか。また災害医療に携わるには、どのようなスキルが必要になりますか?


「災害時は人手が足りないため、医師に指示されてから慌てて動いていたらロスタイムができます。診断と治療は医師の裁量権ですが、急性期に効率的に動くには看護師も医療知識と判断力を身につけておく必要があります」

「災害サイクル」という概念があり、災害の発生から1週間ぐらいが急性期、1週間から1カ月ぐらいを回復期、それ以降を復興期と捉えます。災害発生直後は拠点病院が持っている「DMAT(ディーマット)」*という医療チームがいち早く駆けつけて急性期の医療を行います。その後の回復期から復興期では、看護師や保健師などが病気やケガをしている人だけでなく、被災地の方たちが健康で幸せに生きていけるようにサポートします。

 

災害時の医療は「専門職ボランティア」と言われ、医師や看護師、薬剤師などは専門的な知識と技能があって当たり前。その上で地域との関わりを円滑にするためのコミュニケーション能力や交渉力が必要です。

 

東日本大震災のように想定を超えて被害が拡大すると、地域の災害対策計画通りにはいきません。その場にいる人が「最善は何か」を判断します。より多くの人たちにとって公益性が高いものは何かを考えて実行したり、時には人を感化して導いたりするリーダーシップも重要ですね。

 

「DMAT」*とは

05年に厚生労働省により発足した専門的な訓練を受けた災害派遣医療チームのこと。医師、看護師などで構成され、大規模災害や大きな事故現場などに急性期(48時間以内)から活動できる機動性を持つ。「Disaster(災害) Medical(医療) Assistance(支援) Team(チーム)」の頭文字をとって略して「DMAT(ディーマット)」と呼ばれる

災害医療に携わってきた中で、大きなターニングポイントはありましたか?


2011年東日本大震災で宮城県看護協会内に設置した現地対策本部で。現地コーディネーターとして活動した(写真提供/石井さん)

それは、やはり2011年の東日本大震災です。想定を超えて被害が拡大したため、医療者だけではなく地域の保健に関わる人などが力を合わせて連携をする必要がありました。

 

災害時は社会や組織の弱い部分が露呈します。平常時は見えないものがポッと出てくる感じですね。人権意識の低さ、ジェンダーギャップなども表れます。避難所で、女性が着替える場所がない、生理用品がないと男性リーダーに言っても、“小さいことでうるさい! 女は黙っていろ”という扱いをされます。真っ暗で暖房もなく、へドロの臭気が立ち込める中で肩を寄せ合い寝ている高齢者を見て、「ここは一体どこの国なんだろう」と思いました。

 

地域にはしがらみもあるので、状況をよくするには外部の私たちが声をあげるしかない。海外の災害支援活動をする中で、「看護だからできることがある」と確信していましたが、さらに強くなりましたね。この経験から「もっと人間らしい避難所にしたい」と、日本災害医学会で、被災地での実践的な活動を学べる「BHELP(ビーヘルプ)」*というプログラムを立ち上げました。

 

「BHELP」*とは

「Basic Health Emergency Life Support for Public」の略。日本災害医学会の教育コースで、地域保健・福祉関連業務者が、災害直後から避難所での活動など、効果的に実践するための知識を学べる

看護師という職業を選ぶにあたり、影響されたものはありますか? 


認定看護師とは「救急看護」「集中ケア」など、特定分野で熟練した看護技術と知識を有するとして日本看護協会が認定した看護師のこと。救急看護の認定看護師として働いた後、看護研修学校で認定看護師を教育する側に回り、6年間で180人の卒業生を送り出した

男尊女卑のある田舎で育ち、長男だけが親から期待されているような環境でした。高校進学の時に「大学にやるつもりはない。女に学問は必要ない」と宣言されて。閉鎖的な家庭から抜け出すには勉強して自立するしかないと思っていたのに、それさえも閉ざされてしまったのです。

 

「どの職業なら父は女の子らしいと思うのか」と悩み抜いた末に思いついたのが看護師です(笑)。男性に依存する人生は選びたくなかったんです。「看護師になろう。家から通えないところにしよう」と全寮制の看護学校に進みました。いろいろなジレンマを抱えて看護師になったんですよ。

 

看護師として働いて3年くらいたった頃、患者の急変にちゃんと対応できないことがあって。「私は何をやっているんだ」と屈辱感と挫折を感じました。患者はさまざまな状況下で「命を救ってほしい」「苦痛を回避してほしい」と思っているのに、それができないのは一人前ではない。救急看護を極めたいと、認定看護師の資格を取得しました。

小・中学生で、災害救急や看護に興味を持つ子がいたら、今やっておくといいことや、その子たちへのメッセージはありますか?


「被災地の改善を訴えるためにはデータが必要です。災害現場で経験したことを体系化して、大学院で看護師、保健師、薬剤師、保健福祉などの専門家に教えています。災害の現場を改善できる人材を育てたいと思っています」。スリランカ・スマトラ島の小学校にて。HuMAの活動(写真提供/石井さん)

災害医療に関することに関わりたいと思うなら、まずは自分の命をどう守るかを考えてほしい。市区町村のホームページなどに情報はたくさんあるので、地域のリスクを調べて、自分の家はそれに備えているのかを話し合うことです。誰かを支援をするためには、自分が死んではダメなんです。

 

今やるべきことは、まずは身近な防災です。音楽を聴きながら、スマホを見ながら自転車に乗っていませんか。信号が青になったら左右を見ずに渡っていませんか。普段そういうことをしている人が、自分の命を守ったり、人の命を守ったりできません。「命を守るとはどういうことか」「自分はどう生きているのか」ということを考えてほしいですね。

 

その上で、災害時だけが特別なものではないので、普段から救急救命士や看護師など各専門分野で一人前でなくてはいけません。基盤を整えた上で、災害に取り組む必要があるということを、将来のためにしっかり心得てほしいと思います。

取材・文/米原晶子 写真/村上宗一郎