脳科学者・茂木健一郎さんが語る 「社会の見取り図」としての『おしごと年鑑』 ~キャリア教育の大切さ~

2019.08.29

脳科学者・茂木健一郎さん(もぎけんいちろう)

1962年生まれ。理化学研究所などを経てソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。近著に小説「ペンチメント」、著書に『脳と仮想』(新潮社)、『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)ほか多数。

「しごと」を学ぶ機会が少ない子供たち


人間の脳は、「情報」が十分に与えられないとうまく働きません。情報を得るために、人間はいろいろなことを学びます。「学び」において大切なのは、基礎を積んでしっかりした「土台」をつくることです。土台の上にこそ、学んだ情報が積み上げられていくのです。逆に言えば、土台がないのにまとまった情報を与えられてもうまくいきません。
今の教育では、数学や英語など科目教育の土台は身につきますが、「しごと」に関してはそうではありません。極端に言えば、就職活動を始めてから世の中にどんな仕事があるかを学びます。しかし脳の回路に「仕事」に関する土台がないから、若者たちはなかなか対応できません。知名度や華やかさを基準にして就職を考え、消費者の目に触れやすい商品を扱う「B to C(Business to Consumerの意味)」企業にばかり目が向きます。
 日本には、最先端の技術を駆使して世の中を支える「B to B(Business to Businessの意味)」企業がたくさんあります。そうした企業に若者たちは行きたがりません。現場の人たちに話を聞くと、みな一様に「求人に苦労している」と言います。
日本社会の大変残念な現実です。

必要なのは「社会の見取り図」~おしごと年鑑の意義~


子供たちに必要なのは、仕事を考える土台を早いうちにつくることでしょう。子どものうちからしっかりした「キャリア教育」をしていくことです。
もちろん今までもキャリア教育はなされてきました。学校が社会科見学や職業体験を実施し、子供たちに仕事を学ばせています。効果は高いですが、実施できる回数には限りがあります。また世の中には、見学や体験に向かない企業がたくさんあります。キャリア教育は、そうした仕事も含めて理解させることが必要です。そのためには「現代の仕事の見取り図」「社会の見取り図」のようなものが必要なのです。

画期的な本


『おしごと年鑑』を読んだとき、「あ、見取り図が出来たな」と思いました。
『13歳のハローワーク』(村上龍・幻冬舎)のように、児童・生徒に仕事を考えさせる本は以前からありました。しかし具体的な仕事内容を、業種や会社名を挙げて子ども向けに解説するキャリア教育の本はなかったように思います。まずはここに「社会の見取り図」としての『おしごと年鑑』の意義を感じます。
 多くの企業が、自社のパンフレットを持っています。ビジュアル的にも工夫され「かっこいい」ですよね。しかし本当の仕事は決してかっこいいものではない。むしろ「泥臭い」。その泥臭さこそ、仕事の本当の姿です。『おしごと年鑑』は、第三者が企業に詳しく取材し、丁寧に編集しています。年鑑のページをめくると現場の苦労がうかがえ、泥臭さがにじみ出ている。働く人たちのプライド、その仕事へのやりがいが感じ取れる。
まさに画期的なキャリア教育教材だと思います。

まずは「面白い」と感じること~家庭・学校での活用を~


とはいえ親子間で、あるいは学校で、年鑑を参考に「何になりたいか」といきなり深く考えるのはまだ無理です。まずは「この仕事面白そうだな」と子どもが感じること、そして「面白そうと思える仕事」をどんどん増やしていくことが大切だと思います。
例えばこんな活用法はどうでしょうか。
まずはお父さん・お母さん、あるいは先生が、「何になりたい?」を尋ねて子供たちに言わせます。「スポーツ選手」「お花屋さん」「ケーキ屋さん」など、わかりやすい職業を答えると思います。
次に年鑑を読ませ、「この本に載っていた仕事の中で興味を持ったもの、面白いと思ったものを挙げてみて」と問いかけてみる。子どもたちの答えは変わるはずです。そこから話が展開していくのではないでしょうか。年鑑を読む前と読んだ後で、仕事に対する興味・関心の度合いを変えられたら大成功です。

AI(人工知能)の時代にこそ


いま、「AI(人工知能)の時代」の到来に社会全体がおびえています。
実際、世の中の仕事も大きく変わっていかざると得ませんが、仕事自体がなくなるわけではありません。子供たちが「将来何になろうか」を考える作業はこれからも必要です。
最近、次々と新しい仕事が生まれています。「猫カフェ」「ユーチューバー」「ゲーム実況解説」・・・。大人たちが考えもつかない仕事です。
年鑑を読んで、「こんな仕事があってもいいんじゃないか」「あんな仕事もありうるのでは」と、新しい仕事を考える子どもが出てくるかもしれません。子どもなりのベンチャー的発想ですね。大人はそうした意見を否定せず、受け止めていくべきだと思います。私たち大人も変わらなければならないのです。
ただ、そのとき子どもに教えてあげてほしいことがあります。新しいビジネスを実現しようと思ったら過去や現在をしっかり理解しなければいけないということです。特に、地味に見える仕事の面白さ・大切さを理解させてほしいです。「宇宙開発に使うカーボン素材の開発」を、「ユーチューバー」と同じように面白いと感じる子どもであってほしいし、そういう子どもが増えてほしいですね。

仕事を考えることは「仕事をリスペクトすること」


人間の脳の最大の特徴は、「自分とは違う人間」を理解できるということです。自分の個性、自分の未来を考える中で、「仕事」への理解にとどまらず「世の中にはいろいろな人がいる」「みんなで世の中を支えている」ということを学んでいくようになります。キャリア教育を通して、様々な仕事へのリスペクトを高めていけるはずです。
『おしごと年鑑』は、その助けにもなるはずです。

(聞き手・竹原大祐)