[船長]小西智子(こにしともこ)さん
1983年生まれ。三重県出身。2004年、鳥羽商船高等専門学校を卒業後、日本郵船に入社。航海士として経験を積み、17年に日本郵船132年の歴史の中で、女性として初めての船長となる。1級海技士、衛生管理者、無線通信士、甲種危険物取扱者等の資格を所持。少林寺拳法初段。
船員ならずとも、誰もが憧れ、尊敬を集める「船長」(キャプテン)という仕事。
どんなことをするのが仕事ですか?
制服は入社のときにオーダーメイドであつらえる。3等航海士、2等航海士、1等航海士と昇格するにつれて袖章(冬服)の金筋が増えていく。小西さんの袖章の金筋4本は、船長と機関長のみ
1等航海士として乗船経験のある自動車専用船「POSEIDON LEADER」(写真提供/日本郵船)
船長は、船の最高責任者です。辞令を受けるとき、「二十数人の命、200億円の輸送船、お客様からの大事な貨物を預かっていることを忘れるな」と言われ、身の引き締まる思いがしました。
本当は何もなく無事に運行するのが理想ですが、まずそんなことはありません。最短で、船が座礁しないような針路を選び、気象や海の状況などを総合的に判断しながら、いかに期日通り目的港へ荷物を運ぶことができるか。それを常に考えているのが船長の仕事です。
長い航海ですから、台風でコースを避けたり、途中で急に寄港先が変更になったり、病人が出たりするのはよくあること。どんなときでも平常心でいられるよう、心がけています。
今は通信手段も発達し、会社や各国の沿岸警備隊などと通信で相談することもできますが、最終判断は現場で指揮を執っている船長が下すしかありません。
安全な航海のために船長以下、船員はどのような勤務をされているのでしょうか?
3等航海士当時の小西さん(中央)。肩章(夏服)の金筋は1本。2等航海士、3等航海士、甲板(こうはん)部員らとチームを組んで業務にあたる(写真提供/日本郵船)
船の中は基本的に序列で成り立っています。上意下達による指示や命令が実行されることで安全が確保されるからです。
航海士は4時間働き、8時間休憩の交代制で勤務をします。3等航海士は救命・消火設備のメンテナンス、書類の記録など、2等航海士は主に海図の管理や航海計器、レーダーやGPSの管理など、1等航海士は、荷物の管理、積み下ろしの監督、船全体のメンテナンス管理などを行います。数名でチームを作り、航海士はまず見習いからスタートします。
機関士にも同様の序列があり、機関長以下、船を動かすエンジン、発電機やボイラー、冷凍機などさまざまな機械の設備やメンテナンスを主に行っています。その他、部員は見張りや荷物の積み下ろし、船内の保守整備を担当します。
私のこれまでの最長航海は8カ月。日本を出発してから中近東、欧州、アメリカとほぼ世界中を回り、自動車専用の輸送船に自動車や建機、重機などを積んだり下ろしたりしながら帰ってきました。
海の近くで育ち、小学校3年生の時すでに、「船に乗る仕事がしたい」と思っていたそうですね。
3等航海士当時の小西さん。操舵室にて。港に出入りする際や、狭い海峡などを通るときには、ここで船長自らが操船の指揮を執ることもある(写真提供/日本郵船)
出身は三重県。父が趣味でヨットに乗っていて、小さいころからよく海に連れて行ってもらっていました。すると、海で働く人を目にするようになり、「海で働く仕事」に興味を持つようになったんです。
中学3年で「船に乗ろう」といよいよ進路を固め、鳥羽にある商船高等専門学校へ入学しました。5年6カ月間勉強するのですが、1年間は実際に船に乗り、専門技術を学びます。ここで海技士の国家資格を取りました。
そしていよいよ社会に出るとき、目標は世界の海。「外国航路の船長になりたい」と思ったんです。就職活動したのは大手3社。実はこのとき、学校の先生に「海上職での女性の採用はほとんどないだろうから、絶対無理」と言われてしまっていて。でも「なぜ、自分の人生の選択に妥協しなくてならないのか!」と余計に奮起しましたね(笑)。就職が決まった時、先生には「人生が変わったな」と、とても喜んでもらいました。
8カ月間にも及ぶ航海の間、船長は船内の融和にも心を砕くそうですね。船員はモチベーションをどのように保っているのですか?
船内パーティーの様子。甲板員(こうはんいん)などのクルーは、外国人船員も多い(写真提供/日本郵船)
「船内はいつもharmonious(ハーモニアス)にしたいですね。そのためにも英語はスタンダードで話せないと」と小西さん(写真提供/日本郵船)
新しい乗組員が乗船したら毎回ウェルカムパーティーをしますし、クリスマスやお正月のタイミングにはイベントをすることもあります。でも最も大事なのはごはん。食材を積み込める寄港先は決まっていて、買い込んだ最初の頃は旬の葉野菜や果物も食べられますが、次第に生ものがなくなって缶詰ばかりに。船員は日本人だけではなく、誰もができるだけ母国に近い味を求めている中、フィリピン人の料理長が作った肉じゃがは全然和風でなくって、あれには参りましたね(笑)。
かつては寄港する港に手紙が届いていて、それが楽しみでしたが、今はラインもできます。すぐに連絡が取れないからこその良さが逆に少し恋しい気もしますね。最近は電子書籍で本が購入できるのもありがたいです。個人が船に持ち込める私物の量には限界があるので、なんでもかんでもというわけにもいかず、以前はどの本を船に持ち込むか、相当悩んだので(笑)。ベストセラーもすぐ読めます。
ちなみに私は乗船中、「下船したらやりたいことリスト」をつけています。でも、やりたいことが意外と海外旅行だったりする。
日本郵船では、船長でもみな陸上勤務をされるのだとか。小西船長も現在はオフィスでデスクワークをされているそうですね。
3等航海士として乗船当時(写真提供/日本郵船)
ばら積み船にて。「船で世界中を移動していると季節感がないので、四季の移り変わりを懐かしく感じます。ただ花粉症がなくなったのはうれしいですね」と小西さん(写真提供/日本郵船)
これまで、航海士としてコンテナ船、自動車専用船、LNG船(天然ガスを運ぶ船)などに乗船してきました。今は毎日、東京・丸の内の本社でパソコンに向かい、航路や運航のシステム開発をしています。日本の暮らし全般を支えている海運業は、乗船だけでなく、膨大なデスクワークが不可欠なんです。会社には200人近くの船長がいますが、交代で陸上勤務をしています。
私はあと数年陸上勤務予定ですが、陸にいると船が恋しくなります。ただ、陸上勤務が終わり、あと数日で船に乗り込むとなると、船が座礁したり、トラブルが発生したりする悪夢を見ることがあって(笑)。まわりの船長たちも皆、同じようなことを言います。乗ってしまえばそんな夢は一切見ないのですが、それだけ任務のプレッシャーを感じているんでしょうね。
船長の仕事は緊張の連続ですね。それでも「海の上が好き」ということを実感されていますが、どんなところが魅力なのでしょうか?
乗船に必ず携帯する肩章。船内で使用する双眼鏡とヘルメット
世界一の難所といわれるシンガポール海峡の海図。三角定規を使ってたくさんの線を書き込んでは消すので、鉛筆は必ず4B。芯が折れないようにコンパスで挟んで並べるのが決まり
最長300メートル以上もある大きな乗り物を動かしていると思うと、気分がいいですよ。8カ月の乗船後は、4カ月の休みがあるのも、他の職業にはない大きな魅力です(乗船期間の半分が休暇)。私は休みになると、たっぷり海外・国内旅行をしています。
船乗りはロマンチストな面があります。船長は「おれの船に何するんだ」なんて言い方をしたり、自分のサインにこだわったり。私もそういうふうになりたかったし、13台のランボルギーニを輸送したときには、「今、この広い世界で、13台ものランボルギーニのカギを持っている日本人は私くらいかも」と、うっとりしたことがあります(笑)。
海上には、たまに見事な虹が出ていることがあります。陸にいるときは、「きれいだな」で終わってしまいますが、見渡す限りの水平線に浮かぶ虹の方向へ船が進んでいるときは、「今、虹に向かって走っているんだなぁ」と格別な気持ちになりますね。
海運とは
四方を海に囲まれた日本の生活は、海運による物資輸送によって支えられている。原油や天然ガスなどのエネルギー原料、工業原料、食料など、多くのものを海外から輸入し、自動車や電気機器などを輸出。その輸送のほとんどを担っているのが海運で、重量ベースで日本の貿易量全体の99.7%を占める。
船員とは
必須なのが海技士の資格。航海士になるには、専門の学校を卒業し、国家資格である海技免状を取得。その他、一般の大学卒業後でも、海運会社へ入社後に自社養成コースを経て、海技免状を取得できる。海技免状は、操縦できる船の大きさや航行する区域に応じて1〜6級に分けられている。