伝統芸能・文楽の「今」を担う人間国宝

2019.08.28 わたしのしごと道

[文楽人形遣い]吉田和生(よしだかずお)さん

1947年愛媛県生まれ。10代のころ、文楽の首(かしら)を作る人形製作者、徳島県の大江巳之助氏(4代目)を訪ねたのを機に文楽に出会い、人形遣いとして吉田文雀氏(故人・人間国宝)に入門。67年に文楽協会人形部研究生となり、68年に初舞台を踏む。2017年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。

文楽の中で人形遣いはどのような役割をするのでしょう。演目が決まってからどのような準備をして舞台に臨みますか?


首は普段は坊主頭で、役に合わせて赤褐色や白などに専門の職人が毎公演塗り直し、かつらは役に合わせて「床山(とこやま)さん」が結い上げる。衣裳は衣裳部が用意するが、着付けは人形遣いが担う

文楽は三味線が音で場面の情景をつくり、太夫が物語を語り、人形が視覚に訴えてひとつの芝居を構成しています。人形遣いは、お客さんに物語がわかりやすいように人形を動かして表現することが主な仕事になります。

演目が決まると、人形遣いは自分の遣う人形を「こしらえる」ことから始まります。役に合わせて首(かしら・人形の頭部)が割り振られると、手足を組み合わせ、胴(どう・人形の体)に衣裳を着付けて初日を迎えます。文楽の人形は自分でこしらえないとなかなか思うように動きません。遣いやすさはもちろん、お客さんに見てもらうには格好よく着付けするのも大事です。

衣裳の着付けは足遣いのときから、師匠が着付けるのを横で見て覚えます。ボクの師匠は人形ごしらえに厳しくて。役をもらって人形を遣うようになると「ここ留めて」と教わるけど、普通は1時間~1時間半でできるところ、最初は3~4時間かかる。やっとできたと思っていると「和生、それは舞台で使えん」と言われて、糸を切って最初からやり直すこともありました(笑)。

人形は3人で動かしていますが、どのように息を合わせているのですか? 演目によって人形の動きは決まっているのでしょうか?


文楽劇場全体

主遣い、左遣い、足遣いの3人で人形を操る(2018年11月に国立文楽劇場で上演された「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」の「葛の葉子別れの段」より。人とキツネの間に生まれたという陰陽師、安倍晴明の伝説を題材とした作品)

舞台脇では太夫と三味線が義太夫節を奏でる

人形は、首と右手を「主遣(おもづか)い」、左手を「左遣(ひだりづか)い」、足を「足遣(あしづか)い」の3人で操っていますが、けいこは初日の前に舞台稽古を1回するだけです。左遣いや足遣いが、主遣いが出す図(ず)と呼ばれる動き(合図)を読み取り動かすことで、まるで生きている人間のような動きになります。

「足遣いで10年、左遣いで15年」とよく言われますが、その間にいろんな役をやることで、その役が持つ動きを覚えていきます。そうしないと、自分が主遣いとして首を持ったときに、左遣いや、足遣いに指示を出せません。

伝統芸能は基本的には動きの型が決まっていますが、「自分はこうやろう」と工夫することもあります。伝統とはいえ時代によって表現方法も違うし、微妙に変わってきている面もあるでしょうね。新作や何十年ぶりに復活という役は、音を聞いて自分で動きをつけたり、制作と相談したりしながらゼロから作り上げていきます。人形の動きの責任は主遣いが持つので、主遣いがすべてを考えます。

そもそも文楽の世界に入り、人形遣いになったのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか?


文楽の首は種類によって、目、眉、口が動くような仕掛けになっている。胴と手足は人形遣いが各自で所蔵している

ボクは間違って入ったんやけど(笑)。舞台に出るなんて夢にも思っていませんでした。

進路を考えていた10代後半に漆芸家・松田権六さんの著書を読み、工芸の職人としてコツコツやりたいと思うようになりまして。2~3年かけてやりたいことを見つけようと京都の美術館や博物館をまわった帰りに、徳島で文楽人形の首(かしら)を彫っている大江巳之助さんを訪ねました。

大江さんから「今彫ってある人形はあと50~60年は使える。今来てもお前が彫った首が舞台で使えるとは限らない」と言われて、「そうですか」と帰ったら、あとから大江さんから手紙が来まして。「大阪で芝居やっているから、見に行ったらどうや」と勧められました。そこで初めて見たのが師匠、吉田文雀の舞台でした。その日師匠の家に泊めてもらったら、翌朝「お前、どないする?」と言われて。「人形遣って芝居やるのは、ちょっと面白そうやな」と思っていたから、「じゃあ、やります」いうことになりました(笑)。

ひとりでコツコツできることを探していたはずが、いちばん正反対の、たくさんの人と関わらんといかん人形遣いになりました(笑)。人生そんなもんでしょう。計算通りにはいきませんね。

思わぬ世界に入られて、ご苦労はされなかったですか? また、長く続けてこられた原動力になっているものとは?


人形に着付けをする和生さんの裁縫道具。幾重にも重なる衣装を縫い付けるため、太い布団針と木綿糸を使う

主遣いは役によって高さの異なる下駄を履いて舞台に立つ

悩みやら苦労がない仕事があったら教えてほしいです(笑)。いくら好きなことでも、仕事になったら病気でも、嫌なときでもやらなあかんから。その点はどんな仕事でも同じでしょう。

毎日やっていても葛藤はいろいろあるし、人形のしぐさひとつとっても全部がうまくできるわけやない。できなかったら毎日地獄です。でも舞台がある限り休むわけにはいかないから、考える。今日70%やったら、明日は80%になるよう、いい方のパーセンテージを上げるようにするだけです。

いい芝居をしたい。せっかく来ていただいたお客さんに、喜んで帰っていただきたいですから。

「面白かった、良かった」というお客さんの声があるから、続けていけるのでしょうね。それに、段切りで幕がしまるときに、人形がええかっこして、みえ切って幕が下りたら気持ちいい。「それ覚えたらやめられんやろ」って若い子にも言うてます。

小中学生で、やりたいことが見つからないという子がいたら、どういうアドバイスをされますか?


文楽の技芸員になるには、師匠に直接弟子入りする場合と、太夫、三味線、人形遣いを養成する研修で基本的な実技を身につけてから、師匠に弟子入りする場合がある

師匠がよく言うてたけど、ボクらの世界はいろんな引き出しをたくさん持っておくことが大事。この引き出しがあかんかったら、こっちの引き出し、あっちの引き出しを引っ張り出して、いろんなこと考えるわけです。師匠はなんでも興味があって、演劇、神社仏閣、博物館、美術館をよく見に行っていたから、ボクも内弟子のときに付いて歩きました。

今どきの子どもたちのようにゲームやパソコンで遊んでいるだけだと、ある意味自分で考える力がなくなるかもしれん。そんなに小学校から「あれになりたい、やりたい」って考えているわけやないやろうし、面倒でも本を読んだり、いろいろ経験したりして、ものの見方や考え方を身につければいい。

親の責任もあるでしょうね。子どもがひとりで引き出しを増やすのは無理やから、あれ見せて、これ見せて、それ読んで、と導く必要があるかもしれません。

文楽を次の世代にどのように継承していこうと考えていますか?


「師匠と付き合いのあった日本画家の奥村土牛先生から『芸術に完成はない。芸術はいかに大きな未完成で終わるかが値打ち』と言われたけど、そうやなと思います。人間国宝いうても肩書きがついただけで、芝居に満点なんてありません」

文楽に限らず、歌舞伎や能など、いろんな分野で何百年も続いている伝統的な職業といわれるものは、価値がなかったらつぶれる業種も出てくるかもしれません。だから、いかに次の世代へ伝えるかということが大切です。

文楽も300~400年続いていますが、自分が携わっている時間はその歴史のほんのわずか。さらに主役級の役ができるのは、せいぜい15年くらいで、そのためにみんな「足遣い10年、左遣い15年」と苦労しています。それぞれに就いた仕事の中での位置付けがあるやろうけど、ボクの場合は、上の世代から教えてもらったことの質を落とさず、後世の代に送っていくのが役目だと思っています。

文楽とは

太夫、三味線、人形が三位一体となって繰り広げる伝統芸能。そのルーツは江戸時代初期にさかのぼり、古くはあやつり人形、のちに人形浄瑠璃とよばれる。竹本義太夫の義太夫節と近松門左衛門の作品が人気を得て全盛期を迎える。現在は大阪の国立文楽劇場、東京の国立劇場で定期的に見ることができる。文楽の「伝統芸能伝承者」を養成するための研修制度がある。

取材・文/米原晶子 写真/幸田太郎