作曲家の枠を超え、ダイナミックに活躍する

2019.08.28 わたしのしごと道

[作曲家]宮川彬良(みやがわあきら)さん

1961年東京生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科入学。劇団四季、東京ディズニーランドなどの音楽担当で作曲家デビュー。音楽劇「身毒丸」で読売演劇大賞・優秀スタッフ賞受賞。「マツケンサンバⅡ」やNHK連続テレビ小説「ひよっこ」の作曲、教育テレビ「クインテット」のアキラさん役が話題に。映画「宇宙戦艦ヤマト2199」の音楽も手がけている。舞台、テレビ、ラジオ、コンサートなど、その活動は多岐にわたる。

作曲家という枠を超えて、幅広く活動されていますが、現在(2018年5月)どのようなプロジェクトのお仕事をされていますか?


宮川さんが作曲を手がけた新作ミュージカル「ナイン・テイルズ~九尾狐(クミホ)の物語」の舞台稽古の様子。舞台下のオーケストラピットで音楽監督として指揮しながら、ピアノの演奏も(写真提供/穂の国とよはし芸術劇場PLAT)

宮川さんが作曲を手がけた新作ミュージカル「ナイン・テイルズ~九尾狐(クミホ)の物語」の舞台稽古の様子。舞台下のオーケストラピットで音楽監督として指揮しながら、ピアノの演奏も(写真提供/穂の国とよはし芸術劇場PLAT)

18年1月には愛知県・穂の国とよはし芸術劇場PLATにて上演され好評を博した(撮影/伊藤華織)

18年1月には愛知県・穂の国とよはし芸術劇場PLATにて上演され好評を博した(撮影/伊藤華織)

2018年夏に「ピーターパン」というミュージカルの上演があります。ブロードウェイのミュージカルですが、日本での上演にあたって僕が編曲しました。毎年再演を繰り返していて、演出家と相談をしたり曲を整えたりして6月くらいから稽古が始まる予定です。

10月には自分が作曲したミュージカルの上演があり、そのあと「宇宙戦艦ヤマト2202」というアニメ映画音楽の録音が待っています。

作曲家として曲を書くことが一番大きな仕事ですが、近年では音楽監督として作品全体を取りまとめる大きなプロジェクトが年にいくつかあります。平行してオーケストラや吹奏楽団などいろんな編成のコンサートを年に50本くらいやっています。演奏するのは、僕がこれまで作曲や編曲をしたもので、オーケストラの編曲だけで300くらいのレパートリーがあるかな。音楽監督、指揮者、ピアニスト、解説、司会もやりますが、どれも作曲家という根っこから派生したものですね。

2017年4月からのNHK連続テレビ小説「ひよっこ」の作曲が話題になりました。劇中の音楽はどのように作り上げていくのですか?


「オーケストラの作曲をするときは、『たぶんトランペットだな。管楽器じゃなくてバイオリンかな』と、基本の部分は頭の中で鳴っています。その上でピアノの音を楽器の音だとイメージしながら何度も繰り返し弾いてどの楽器にするのか決めていきます」

「オーケストラの作曲をするときは、『たぶんトランペットだな。管楽器じゃなくてバイオリンかな』と、基本の部分は頭の中で鳴っています。その上でピアノの音を楽器の音だとイメージしながら何度も繰り返し弾いてどの楽器にするのか決めていきます」

「さらにいろんな楽器の音が出る電子ピアノで擬似的に確かめることもあります。ホルンを録音し、バイオリンを重ねて、和音を弾いたら、『朝みたいな感じになるなあ』というように。これをすることで、実際の録音でオーケストラを前にしたときに大きな変更をしなくてすみます」

「さらにいろんな楽器の音が出る電子ピアノで擬似的に確かめることもあります。ホルンを録音し、バイオリンを重ねて、和音を弾いたら、『朝みたいな感じになるなあ』というように。これをすることで、実際の録音でオーケストラを前にしたときに大きな変更をしなくてすみます」

「ひよっこ」は脚本に沿ってかなり克明に注文が入りました。音楽を担当する音響デザイン班のチーフが劇伴(げきばん)として、どんな感じの曲が何曲くらい欲しいかが書かれた「お品書き」のようなものを書いています。それをもとに打ち合わせをします。

例えば「『空の向こうのあなたへ』というタイトルで、失踪したお父さんが家族と離れているが空ではつながっているイメージの曲が欲しい」というような会話をしているうちに、頭の中に音楽が聞こえてくるんですよ。

「空ならまなざしの角度はこのくらいかな」と思っていると、木々の間から笛の音が聞こえてきて。手がかりになる音の断片を五線譜に書いておき、家に帰ってピアノで弾いてみると、それがモチーフの一部になることがあります。「ああ、これこれ」っていう感じでね。そんな会話の中の思いつきも役立ちますが、なんといっても台本を読み込んでつかんだ感覚が一番重要。電車や地下鉄の中で台本を読んでいるときに感動してメロディーが浮かんでくることがよくあります。

中学・高校で演劇を経験されていますが、今の作曲活動につながりますか?


スケッチした音符をオーケストラのスコアに書き直していく作業は仕事場のデスクで。五線譜、シャープペンシル、消しゴム、定規、ストップウォッチなどが作曲の7つ道具。「作曲にパソコンは使いません」

スケッチした音符をオーケストラのスコアに書き直していく作業は仕事場のデスクで。五線譜、シャープペンシル、消しゴム、定規、ストップウォッチなどが作曲の7つ道具。「作曲にパソコンは使いません」

やっていることは、まったく一緒(笑)。中学校のとき2日間で6クラスがそれぞれ劇を上演するという演劇祭がありました。その月は授業が午前で終わって、午後はずっと劇の練習(笑)。3年生のとき劇作家・ゴーゴリの「検察官」をやることになり、すごく面白い本だと思っていたら、頭の中で音楽がガンガンに聞こえてきて。当時は好きなロックのレコードの「B面の3曲目だな~」という程度ですが。そのうち選曲に迷っていたら、先生から「作曲家になりたいなら作ってみたら」と助言されて、僕が作った曲を仲間で演奏して録音しました。

準備のためにテープレコーダーを体育館に運んでいるときに、「あ、オレは演劇の音楽をやる人になる」ということが、臨場感を伴ってありありとわかった瞬間があって。後になって天啓(てんけい)だと思うわけですが、それは一生忘れられないような感覚です。そのときの舞台も学校の中ですごく評価されて、とにかく楽しかったし「生きているー!」という充実感がありました。

東京藝術大学の作曲科に入学されましたが、音楽の道を目指して進学を考え始めたのはいつ頃ですか?


ピアノを弾きながらでも書き込めるように、アコースティックピアノに五線譜とシャーペンをセット

ピアノを弾きながらでも書き込めるように、アコースティックピアノに五線譜とシャーペンをセット

演劇の音楽をやりたいというマグマの熱のようなものを持ちつつ、「オスカー・ピーターソンのようなジャズピアニストの自由さにもあこがれる。大学に行かず武者修行に出た方がいいだろうか」「ビートルズのようなバンドにも興味がある」ともがいていたのが高校1、2年生のころ。でも最終的には「ウエスト・サイド・ストーリー」のような音楽を作るのが一番難しそうな目標で、それ以上の目標はないと思って。いつしか僕の進路は決定していました。

「芸大の作曲科を受けるつもりでやれば間違いない。世界でもトップレベルの難しさだから」ということで、ちゃんとした先生について和声(音楽理論のひとつ)を勉強し、2年浪人して合格。大学に受かるために勉強しましたが、その先のイメージがなかったこともあり1年ほどで中退しました。その頃にはミュージカルの編曲や東京ディズニーランドのショーの作曲などの仕事を始めていました。大学に入るまでの和声法・対位法の勉強がとにかく大切なことだったのです。

台本を読んでいると音楽が流れてくるということですが、創造の源はどこにあると思いますか?


Eテレ「らららクラシック」で、“オーケストラでちょっと遊んでみる”という依頼を受け、ブラームスの「ハンガリー舞曲」を宮川彬良版にアレンジ中

Eテレ「らららクラシック」で、“オーケストラでちょっと遊んでみる”という依頼を受け、ブラームスの「ハンガリー舞曲」を宮川彬良版にアレンジ中

35歳くらいで寺山修司の「身毒丸」という劇をやることになりました。「手のひらに百ぺん母の名を書かば生くる卒塔婆(そとば)の手とならんかな」というセリフで始まるのですが、お化け屋敷のような音楽しか浮かんでこない。

演出の蜷川幸雄さんから「好きなように君の音楽性でやって」と言われるけど、「オレは手がかりがないとできないのか」という壁がやってきました。1カ月くらい白紙の五線譜だけ持って稽古場に行っていましたね。

それまでウェットな音楽はエンターテインメントには向かないと思っていましたが、母恋いの物語だし「ノスタルジーって重要かもしれない」と、自分の内面を掘り起こすことにしました。そしたら「ね~んねん、ころ~りよ……」というフレーズが聞こえてきて、その瞬間に涙腺崩壊。僕が幼いときに母がか細い声で歌ってくれていた子守歌です。「子守歌みたいな音楽を作ればいいんだ」という、わらにもすがるような気持ちで見つけた、自分の中に沸きいずるメロディーの源。今まで台本や本の行間から聞こえてきたものの根っこを初めて見たような気がしましたね。

ピアノやバイオリンなどの楽器を習っていて、いつか音楽家になりたいと思う子どもに、どんなアドバイスをされますか?


「音楽は心地よいだけでなく意味を持っています。心象的に多彩な表現ができる。そのことを音楽と演劇をずっと同時にやってきて気がつきました。音楽と言葉のちょうど狭間にいるのが自分の役目」

「音楽は心地よいだけでなく意味を持っています。心象的に多彩な表現ができる。そのことを音楽と演劇をずっと同時にやってきて気がつきました。音楽と言葉のちょうど狭間にいるのが自分の役目」

無責任なことを言わないためにも、あえて「迷うんだったら、辞めなさい」と言います。音楽の世界に入ってから悩むことがいっぱいあるのに、入り口で迷っていたら進む道を見失ったりおぼれたりしますから。とはいえ、みんな絶対迷いますよね(笑)。でもそう言われたら自分の本当の気持ちに向き合うと思います。

繊細な耳と感覚で「アルゲリッチとラン・ランが弾くピアノはどう違うかな」と聞いてみたら本質がわかってきます。「指が動くことだけがピアニストじゃない」「何を伝えたいの」「音楽で泣いてしまうのはどうして」と考えたり自己分析したりすることが、最終的にピアニストになろうが、なるまいが、何か大きなことを発見するきっかけになるんじゃないかな。

いろんなメロディーが重なっているのに和音が気持ちよい、おおらかで自由のようにみえてどの一瞬を切り取っても調和が取れているなんて、音楽以外にありえません。みんなにもっと音楽から何かを学んでもらいたいな。聞くだけでもいい。それは世の中の見本になるはずなんです。

取材・文/米原晶子 撮影/門間新弥