[製本家]伊藤篤(いとうあつし)さん
東京生まれ。東京都立工芸高等学校デザイン科卒業後、製本資材卸業の父の紹介で製本家、栃折(とちおり)久美子さんに弟子入りをする。職人が手作業で本を作る「ルリユール」とよばれる工芸製本技術を学ぶ。22歳でベルギー・ブリュッセル国立美術大学ラ・カンブル校ルリユール科留学。帰国後は西武百貨店池袋コミュニティ・カレッジや東京デザイナー学院で講師を務める。1991年東京・神田神保町に製本工房スタディオ・リーブルを開設。数々の国際工芸製本展で受賞をしている。
伊藤さんが専門とするルリユールというお仕事は、日本ではあまり聞きませんが、どういったものですか?本の表紙をデザインする装丁とはどう違いますか?
「ルリユール」とは本を「とじ直す(糸で縫いつけ直す)」という意味。とじてある本を一度バラしてからとじ直す
19世紀に流通していたフランスの本。当時の日本のお札と同じ紙が使われてとじてある、日本では貴重な一冊
日本で装丁家(ブックデザイナー)というと、おっしゃるように本の表紙カバーをデザインする仕事が主ですね。
フランス語のルリユールの場合は、まず(細い糸で)仮とじしてある本をとじ直す(縫いつけ直す)ところから始まります。その上で表紙のデザインを通じて「これはどんな本だろう? 読んでみたい」と興味を持ってもらって、ページを開いてもらう。二次元の紙を、三次元の本(製本)へと形を変えることと、その最終工程の表紙をデザインすること、それが私の仕事です。
ヨーロッパでの本の歴史は聖書から始まりましたが、昔は表紙をつけた本はほとんどなく、紙の束を簡単にとじたものでした。それが次第に図書館に置いたり、富裕層もしくは貴族階級が美しく装丁したいと考えたりして、伝統的な工芸製本という技術が発展したのです。
本を作るというのは具体的にどんな手仕事を行うのでしょうか?
革をすく(薄く平らにする)作業には、特別な道具を使って作業をします
0.1mmの厚さの違いが手触りの良さをつくります
ヨーロッパのルリユールでのプロセスには多いもので60余もの工程があります。一つ一つを説明するのは難しいですが、まずは簡単に束ねられている本(冊子)をバラバラにし、紙(本文)をプレス機で均一な薄さにします。紙(本文)を裁断して、それを再びとじ直し、そして最後に表紙をつけます。
表紙に使う素材はどんなものでも良いのですが伝統的には革が多いです。中でも、「モロッコ革」と呼ばれる最高級のヤギの革は、すれに強くて表紙に適しています。
製本の作業自体は約30日程度かかりますが、その前に内容を読んで、イメージをデザイン化します。365日、素材や色、どんなイメージで本を作りたいかを考えているので、ひらめくまでにはそれほど時間はかかりません。アクリル板を使ったり、日本の伝統品である和紙や手ぬぐいを使ったりという工夫をして、絵を用いたり、写真を撮ったりもします。
日本でも少ないこのお仕事を目指したきっかけは何ですか?
留学先のベルギー・ブリュッセルにて。ブリュッセル国立美術大学元教授のウラジミール・チェケルール氏と(写真提供:伊藤篤さん)
本をつくる一つ一つの工程がとても楽しいという伊藤さん。表紙を手早くつける作業を見せてくれた。神保町の工房にて
子どもの頃から手作業が好きで、将来は美術・工芸の道に進みたいと思っていました。高校はデザイン科に進み、一時はデザイナーを目指しましたが、商業デザインの仕事は、様々な作業をする人をまとめて手配する仕事も多く、自分が好きな、手を動かして絵を描いたり物を作ったりすることとは違うな、と感じたのです。
そんなときに製本資材の販売を仕事にしていた父の紹介で、ルリユールを日本に広めている栃折久美子先生に出会い、これだ!と思いました。
手を動かし、本を作っていくルリユールの仕事も私にとても合っていました。そこからは一直線でこの道に進みました。
留学先の師匠が、「ルリユールは紙をとじるだけではなく、人もとじる。人と人との絆をつくるものだ」とおっしゃっていました。その意味は今ではすごくよくわかります。製本を通じて多くのよき人々に出会えたことは本当にラッキーでした。
伊藤さんは国際製本展でも多くの賞を受賞されています。そうした作品を作ることとは別に、依頼された装本・装丁をすることもお仕事の一つなのですね?
国際展示会で数々の賞を受賞した美しい作品
2002年第2回イタリア工芸製本国際展「125人のマエストロ賞」を受賞。主催者のミッシェル・ウィトック氏とともに(写真提供:伊藤篤さん)
国際製本展に出すときは、職人仕事というよりアート寄りな気持ちで、美しい本づくりを追求して作品に挑みます。日本ではあまり国際製本展はないのですが、ヨーロッパの国際製本展では、和紙を素材に使うなどして、日本の伝統品の美しさも伝えていますね。
最近ではインドネシアのバリ島に、ギャラリーがオープンするということで、インドネシアの布、バテック染めを使った装本を展示してもらいました。
お客様から発注を受けるときは、思い入れのある本を美しい装丁に仕上げたいとか、会社の社史をきちんとした形で装丁してほしいといった様々な依頼があります。その時はお客様の思いを聞きながら、本を仕上げて行きます。手作業なのであまりたくさんは作れませんが、30部程度の依頼もあります。
インターネットが盛んになるにつれ、本を読む人が減り、本が売れなくなった、と言われます。本の仕事はこれからも続いていくと思われますか?
伊藤さんが主宰する工房スタディオ・リーブルでは不定期に、製本ワークショップを開催。情報はHPからhttps://www.studiolivre.org/
難しい質問ですね(笑)。
本の本来持っている意味は情報を伝えるということですから、その媒体は変わっていくでしょうし、インターネットでも構わないのだと思います。実際、インターネットで様々な国の情報が瞬時にわかるようになったことは、とても便利でいいことですよね。
一方、まだまだ本を愛している人はたくさんいます。自分の工房で製本のワークショップをしていますが、たくさんの「本好き」の人たちが訪れます。
失われつつある伝統を残していくためにも、この仕事を続けていけたらと思っています。
製本、装丁の仕事に携わるには、どういった準備が必要でしょうか? 伊藤さんのように子どものころから美術の勉強に力を入れるべきですか?
遊び心があって、人と話すのも好きという伊藤さんのワークショップには多くの人々が集まる
いいえ、そんな必要はないと思います。幼少期に大切なことは遊ぶことです。といってもゲームなどではなく、自然の中で遊ぶこと。そうすると、自然界にあるさまざまな色・形を感じることができるし、自然は全ての教科書です。子ども時代に遊んでいないと、大人になってからではその膨大な知識は入ってこないのです。
私はデザイン学校で講師をしていましたが、課題で「黒から白まで、10段階のグラデーションを作りましょう」と出題しても、できない学生が大勢いました。様々な色を実感する機会がなかった人は、それを作り出すことなどできないのだと思います。
とにかく好きなこと、やってみたいことを、遊びを通してやっていくことで、自分の道を見つけられるのだと思います。
今も自分は、仕事を通して遊んでいるようなものです(笑)。この道に入って、遊びの意味も生き方も根底から変わりました。仕事で美しいものを作るには、きれいな心を持っていないと作れないと思います。ですから、今は純粋な気持ちで遊びに専念してください。