仕事を持ちつつ、視覚障がいランナーの伴走者として結果を出す

2020.11.30 わたしのしごと道

[パラ陸上・視覚障がい長距離走 伴走者 ]中田崇志(なかた たかし)さん

1979年生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。大学時代は日本学生陸上競技対校選手権大会3000m障害で7位に入賞。大学卒業後はNTTデータに勤務しながら日本選手権やニューイヤー駅伝に出場。2003年よりパラ陸上長距離の伴走を務める。04年アテネ・パラリンピックのマラソンで高橋勇市選手の伴走をして金メダル獲得。12年ロンドン・パラリンピックの陸上5000mで和田伸也選手の伴走をして銅メダル獲得。現在、東京2020パラリンピックの陸上1500mに内定している和田選手の伴走者として練習に励む。

パラ陸上の伴走者としての基本を教えてください。レース中、視覚障がいがある選手と、どのようなコミュニケーションをとるのでしょうか?


パラ陸上の伴走者は、1本のロープでつながった選手と一緒に走りながら「選手に道を正しく伝える」ことが基本です。競技場の400mトラックは平たんなので、カーブと直線に入るタイミングを選手に伝えればスムーズに走れますが、マラソンの場合はコースや路面の状況を詳しく伝える必要があります。

(写真上)中田さんが主催する市民ランナーが集うランニングチームの練習会で、伴走の様子を再現。(写真下)選手と伴走者をつなぐのは1本のロープ。伴走のルールは「伴走者がロープで選手を引っ張ってはいけない」「レース中にロープを離してはいけない」「ゴールで伴走者が先にゴールしてはいけない」などでシンプル

例えばカーブが近くなってきたら「あと30m先、左90度です。20m、10m、はい曲がります」、路面の状況も「10m先、マンホールです」「20m先から5%の上り坂が始まります」と詳しく説明します。競技のときはライバル選手との位置関係を把握してラストスパートのタイミングを伝えたり、選手のフォームが崩れてきたら「リラックスします。一度肩の力を抜きましょうか」とアドバイスしたり、選手と密にコミュニケーションを取りながらレースを展開していきます。

パラ陸上には、どのような魅力がありますか? また伴走者としてやりがいを感じること、大変なことを教えてください。


(写真上)伴走するときに着用する「ガイドランナー」と書かれたビブスと、選手と伴走者をつなぐロープ。長さはトラック競技が30㎝で、マラソンは50㎝。(写真下)伴走者がタイムをチェックしながら走る

どのパラスポーツも関わる人が多いんです。陸上なら視覚障がい者には伴走者、肢体障がい者には車いすや義足のメンテナンスなど。選手はもちろん、サポートする人たちとのチームワークを感じられることがパラ陸上の魅力の一つです。


私が自分1人で走るときは、苦しさを我慢するだけですが、伴走するときは選手の息遣いや伴走ロープの感触から「少し疲労が出てきたかな」と選手の余力を感じたり、ライバル選手の表情や汗のかき具合を確認したり、判断をする対象が増えます。そこにおもしろさとやりがいを感じます。


どういう声かけをしたら頑張れるか、普段の生活や練習、レースの中で感じ取っていくんです。「がんばれ!」と強く言ったときに、力むことなくペースを上げる選手もいれば、力んでしまい硬い動きになってしまう選手もいます。選手の性格に合わせて声を掛けるようにしています。でもお互いにいつも調子がいいわけではなく、記録が出なくてマイナスの気持ちになることもあります。そのようなときでも、お互いに支え合うことができるのがもうひとつの伴走の魅力です。

伴走者として普段どのようなトレーニングをしていますか? 現在のパートナーである和田選手は大阪在住ですが、2人でできる練習の頻度は?


2015年に行われた「オトナのタイムトライアル」で1500mに挑む中田さんと和田選手(写真提供:中田さん)

選手にケガをさせないこと、安全に走ることが伴走する上で何より大事です。信頼関係が前提にないと、視覚障がいの選手は安心して1歩前に足を出せません。私が大丈夫だと思っても「この段差は言うべきだった」ということもありました。迷ったら必ず伝えるように心がけています。


伴走者として、私自身が陸上の競技力を高めておく必要もあります。東京パラリンピックに向けて走力を伸ばしている和田伸也選手の最近の記録が1500m4分5秒。私の今シーズンは3分58秒で、その差がついに7秒に。このまま和田選手の記録が伸びると、私が伴走するのがきつくなってしまいますから、私自身も選手以上にトレーニングをする必要があります。


和田選手は大阪在住なので、2人の練習はだいたい月に1回程度。私が大阪に行ったり和田選手が東京に来たり、強化合宿をしたりしています。でも今年は新型コロナウイルスの影響で大阪と東京の行き来が難しいので、それぞれが練習に励んでいる状況です。

どういうきっかけで、パラ陸上の伴走をすることになったのでしょうか?


2004年アテネ・パラリンピックのマラソンで高橋勇市選手の伴走をして優勝。06年からしばらく伴走を休止していたが、09年に長野県・菅平の練習で、偶然日本ブラインドマラソン協会の合宿に遭遇し、スタッフから「和田伸也選手という強化選手がいるが、もう一度伴走をやらないか」と誘いを受ける。1本のダッシュを一緒に行い和田選手の才能を感じ、伴走を引き受け、12年ロンドン・パラリンピック5000mで3位に入賞(写真提供:中田さん)

私自身も中学時代から陸上競技をやっていて、NTTデータに入社してからは日本選手権やニューイヤー駅伝に出場しました。でも、だんだん陸上で上を目指すのは厳しいと限界が見えてきて。たまたま招待選手として走った市民マラソン大会に、陸上の世界選手権マラソン日本代表で、シドニー・パラリンピックで伴走経験のある倉林俊彰さんがゲストランナーとして参加していて、「中田君も伴走しない?」と誘われたんです。


その後、『ランナーズ』という雑誌を読んでいたら「アテネ・パラリンピックを目指していて、伴走者を探している」という投稿があって。それが高橋勇市選手で、何か力になれないかと思って連絡を取ったのがきっかけです。


自分自身の陸上に限界を感じたものの、伴走という新しい世界でもう一度世界を目標に走ることができ、自分も一緒に成長を感じられる。これが伴走を続けるモチベーションになっています。

企業に勤めながら、伴走を続ける生活です。競技が仕事にもたらす影響、仕事が競技にもたらす影響とは?


ランニングチームの仲間にスタートの合図を出す。ストレッチの指導をしたり、ダッシュのタイムを計測したり、練習会ではサポートが中心。「誰かと一緒に練習するのは魅力的。嫌いなジョギングも楽しめます(笑)。教えることも好きで、できるだけ遠回りしないで目標にたどり着けるようにみんなの力になりたいんです」

日本パラリンピック委員会の制度で、コーチを仕事にすることもできますが、私はNTTデータに勤務しながらボランティアで伴走を続けています。そういう生活が数十年続いているので、特に両立の苦労は感じないですね。


ひとりの会社員として、朝9時半から18時まで仕事をします。夜遅くなることもありますが、帰宅が深夜0時を過ぎても練習はします。競技をやっているおかげで「この時間までに仕事を終わらせて、練習の時間を確保しよう」と、仕事への意欲も湧いてきます。


世界大会があるときは業務を調整してもらうなど、職場の方々のサポートを頂きながら長期で遠征することもあります。会社のみんなに良い結果を報告したいという思いで、競技も頑張ることができています。伴走をやっていてよかったとつくづく思います。

パラスポーツを通して、子どもたちに伝えたいメッセージはありますか?


「障がいを持つ人は町に出ると、とても苦労します。視覚障がいのための点字ブロックや、音が出る横断歩道がどこにでもあるわけではありません。一方、健常者は障がいを持つ人を見かけて『大丈夫かな』と思っても、声のかけ方が分かりません。私は障がいを持つ人が町で『危ない』状況になったとき、自然に声をかけられる人を増やしたいんです」

パラリンピックに出場するようなトップアスリートは、障がい者スポーツ人口のほんのわずか。競技種目も、運動能力も様々なレベルがあるので、もし自分が好きでやっていることとスポーツがつながっていたら、パラスポーツにも目を向けてほしいですね。例えばサッカーが好きならブラインドサッカーのガイド、栄養士を目指しているなら食事のアドバイス、練習会場へ行くための補助など、将来いろんな形でサポートができると思います。


障がいを持っている子どもたちも、「パラスポーツを一緒に楽しみたい」と思っている人たちが大勢いるので、気楽にパラスポーツに参加してほしいですね。その中から世界一になる、すごい選手が出るかもしれません。


私が取材を受けたり講演をしたりするのは、ただパラリンピックを応援してほしいからではないんです。障がいを持っている方々が気軽にスポーツをしたり、「天気がいいから出かけたい」と思ったときに、安心して外出できたりする世の中になってほしくて。パラスポーツが障がいを持つ方々を理解するきっかけになってほしいと願っています。

取材・文/米原晶子 写真/村上宗一郎